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2004.12.11

妄想なら妄想として

 何度も言いますが、男の妄想小説としての「愛の流刑地」に対しては、特に言うことはないです。男も女もお互い自分に都合のいい妄想を楽しむ自由はあるわけで。(もちろん、別の傾向の妄想がいい、という男性もおろう)
 以下は無駄意見をだらだら書くだけなので、続き機能で。

 じゃあなんで、いちいち無駄な揚げ足取ってるのか?>自分、と言えば、(作者も含め)これが妄想小説だと認識できてない人っちゅーか世代っちゅーかがいるのが迷惑だなあ、と思ってるんで。きっぱりえろ小説として発表されてたらすっきりするんですが。
 世の中、えろ小説は妄想ワールドだと切り分けできないバカもいるけど、一応明文化されてるか、もしくは暗黙の了解として「こんな女、現実にはいないから」「こんなことほんとにやったら、却って嫌われるから」って点に関しての合意が読み手と書き手の間にあると思うんですね。だけどこれが日経新聞で、連載小説で、世間的にはえろ小説家とは思われてない人が書いてるがために、深遠な男と女の真実の物語だと誤解しちゃう、というか、したい人がいるんじゃないかと。
 別におっさんと恋愛予定もないわたくしが、なぜ「迷惑」などと言い切るかってーと、この話の主人公の菊治の年代の男性って、会社でもあんまり女性の部下を使うのがうまくない世代だからです。なぜかってーと、それは女性とちゃんとしたコミュニケーションを取るスキルが著しく低いからです。恋愛的な場面ではなく、社会的・会社での話ですけど。それを、女性の方が会社という社会のしきたりに合わせないからいかんのだと言い訳してるのもこの世代です。
 この。正社員が限りなく削減され、パートやら派遣やらの女性構成員比率が上がりまくっているご時世に。「向こうがこっちに合わせないからいかん」とかノンキこいてるセンスが信じられませんが。ともかく、時代が変わってて、自分の方が時流に乗ったスキルを身につけてないのだと悟れないのは問題です。実際に下について働いてる方もかないません。
 で、「愛の流刑地」ですが、状況が恋愛ではあるものの菊治もまたヒロインとのコミュニケーションスキルがきわめて低い。皆無と言っていい。それでもヒロインがお人形さんであるが故に、菊治の欲求はどんどん満たされ夢の世界にいけいけどんどんです。渡辺先生は巧妙に、一応相手に気を遣っているかのように描写してますが、結局のところ相手に意志なんかないんだから、自分のやりたい放題がまかり通ってます。
 それでもいいんだよ。それが愛の世界というもんだよ。男女の深い関わりに言葉なんて無粋なものはいらない…。
 とでも思ってんのか、ぶぁあーか!
 状況が限定されてるからって、言葉を使って意志を伝え合うことの大事さを無視されちゃ困るんですよ。それで人間関係が成り立つかのような幻想を振りまかれちゃ困るんですよ。「そうだよな、うんうん」などと意を強くするおっさんが一人でも出てこられた日にゃあ、マジ迷惑。
 まあ、こんなものをリアルと感じるような人は、恋愛どころか普通の部下上司・友人としてだって女性とうまくやれるとは思えませんが。ヨメさんとだってちゃんと分かり合えてるか、ひじょーに疑問です。
 なぜ、あなた方がモテないのか。会社で女性の部下がついてきてくれないのか。ヨメさんや娘にないがしろにされるのか。渡辺淳一の小説なんぞに夢を賭けねばならないのか。その辺を一度じっくり考えた方がいいと思います。妄想小説にかまけてるヒマがあったら。

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