きれいごとより現実的な方が
朝日新聞ではしばらく前から「いじめ『て』いる君へ」「いじめ『られて』いる君へ」という、見方によってはちと寒いメッセージ連載をやってます。かつていじめられっ子だった経験のあるいいオトナになった私から見て、共感できるというか納得できる内容って、身も蓋もないものの方が多い。
誰だったかなあ、「いじめ『て』いる君へ」で「これを読んでいる君はまだいじめをやめるチャンスがあります。本当にどうしようもないいじめっ子はこんな記事は読まないからです」って書いてる人がいて、「わかってるわかってる」と思いました。残念ながら、人をいじめても心が痛まない手合というのもいますから。仲間に加わらなかったら自分がいじめられる側になるかも、なんて考えてる人はまだなんとかなるけど、そんなことカケラも感じない、ほんとに人をたたきのめすのって楽しーいって思ってる人もいるんですよね…。単に、自分が弱者になる可能性に思い至らない想像力のない人なんだろうけど。
今日の野口健もきっぱり「いじめはなくならないと思います」と書き切っててえらいなあと思いました。いじめをなくそう、なくなる日が来る、みたいなことを言うオトナもいるけど、現実問題そのオトナの世界にだっていじめはまん延してるじゃないですか。昔々からいじめってあるじゃないですか。なくなるものならとっくになくなってる。根絶は無理だと認めて、腹を据えて「じゃあどうやって生きていくの?」って考えるしか、生き延びる方法ってないのだし。
今のいじめは昔に比べると歯止めの効かなさが進みすぎてる気がするんで、それはもう少しどうにかしないといかんのでしょう。でも、いじめゼロは、ほんとに残念だけど無理だよねえ。「ある」「なくならない」と認めた上で、でもやっていく方法を考えようとしてる内容を読むと、いい年になったけど中身子どもの私はうんうんうなずきながら読んでしまいます。
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