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2009.01.23

せめてこれだけ

 「ファウンデーション」の映画化の話のときにもなにげに「SF者のくせにちゃんと見る機会のないまま来てしまったなあ…」なんて書きましたが、私の世代ではあるジャンルにハマると、そのジャンルの基礎知識くらいは身につけておかねばという気持ちが何となくあったように思います。SFを読み始めたからには、スペース・オペラや時間ものや超能力ものや、その他、著名作家の代表作と呼ばれているもの「くらいは」読んでおかないとと思い、「SFマガジン」などで取り上げられる過去の名作のタイトルを憶えては図書館や書店で探したものです。
 コナン・ドイルの「ロストワールド」とか。クラーク・アシモフ・ハインラインといった御三家の作品、日本なら星・筒井・小松あたりは一通りさらっておかねば、とか。
 同行の士というか、ファンサークルなどで先輩方といろんな話をするにあたり、そのくらいはやっとかないとなー、みたいな、使命感というか義務感というか、そういうものがありました。「義務感」なんて書くといやいややってるみたいだけど、そうやって自分の中に蓄積ができていくのがうれしかったもんです。それに、古典の知識が身につくと、その後に描かれた作品がなぜこういう風になっていくのか、みたいなことがうっすらわかったりして、本を読むのがさらにおもしろくなる。「ああ、これってあれの影響下にあるからこんなふうになるのね!」と一人納得してみたり。
 もちろん、昔の作品なだけに読んでも今となってはちょっとなー、と感じるものもありはするけど、それはそれで「昔はこうだったのか」と当時感覚を知る歴史の資料っぽく読んでたところがあります。この過去あって今があるのを実感、みたいな。その時代じゃないと書けないものってのもあるし。
 そんなこんなでジャンルの古典で未読・未見のものがあるのがなんとなく後ろめたかったりします。「ああ、あれを知っていれば、これはもっとおもしろく読めた(見られた)のかもしれん」「もっと早く、これを読んでおきさえすれば…」と悔やむこともよくあります。

 でも、今はそういう、ジャンル教養として過去作を押さえておく、みたいなのはすっかり流行らなくなっちゃったんだなーとつくづく思います。それなりに歳月が重なって、押さえようにも数が膨大という現実もあるんだけど。でも、だからと言って私みたいに「読めてなくて残念」みたいな感覚もないようだし、ファン気質そのものが変わっちゃったんだろうなと。

 なんてことを改めて思ったのは、職場の同僚と話をしてて彼女が「赤毛のアン」も「若草物語」も「あしながおじさん」も読んだことがないと知ったからです。どころか、あらすじもまったく知らないらしい。文学部出身らしいのだが。マンガ好きなんだが。本も読まない質ではないようなのだが。うーむ…。
 最早少女小説の古典なんてものも華麗にスルーな時代なんですね。私のように少年文化に偏った子ども時代を送っていても、この三作は子ども用にリライトしたものくらいは読んだものだが。いっそ百年前の外国の女の子の暮らしっぷりなんてのは時代物として楽しめそうなんだけど。(実際、私は子どものころ、「あしながおじさん」を読んで大学生活にいたく憧れた。現代日本でジュディのような女子大生活は無理なんだが)
 てゆーか、今の女性向きの各種の物語って遠い遠い祖先としてこの三作の影響を含んだものが結構あるんじゃないかと思うんだが。基礎知識として知ってた方が何かとおもしろい気がするんだが。(今、wikiの「あしながおじさん」の項目を読んだら、アニメの最終回を見た視聴者からスタッフに「結末が『キャンディ・キャンディ』と同じでがっかりした。パクリじゃないのか」という手紙が来た、という一文があってとほほ。だから、基礎知識はあった方がよいのでは…)
 この分だと男の子も「宝島」や「十五少年漂流記」や、そういう少年向きの古典小説なんてーものは、もう読まんのでしょうか。

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