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2009.10.25

愛いやつノート

 職場の同僚がヲタクじゃないマンガ好きで毎月かなりの数のマンガをフォローしているんだが、そのおかげで現在発売中の「プリンセス」(秋田書店刊)に「愛いやつノート」というスペシャルふろくがついているのを知った。

Uiyatu
(秋田さんちから拾ってきました。すぐにバックナンバーページに移動してリンク切れしそうなもんで)

 「愛いやつノート」。と聞くだけで「王家の紋章」だなとわかってしまう自分が憎い。
 どういうセンスなんだよ>秋田書店。まだまだマンガを読んでいた当時も、秋田書店のいろんなセンスにはもにゃるものを感じていたが。
 しかし、私ですら連載間もなくの「王家の紋章」を読んで「今時これはないよな…」と思ったというのに、ちゃんと若い読者をつかめているのだろうか。つかめているからこんなふろくがつくんだろうな。まさか往年からの読者だけで今もふろくついちゃうほどの人気作にはなり得まい。
 私には生涯オトメ心は理解できないであろう。
 てゆーか、そもそも私よりだいぶ若い同僚が読んでいるわけで。どうも半分ギャグとして、みたいだけども。でも、読めるだけですごい。私は恥ずかしくてギャグとしてすら読めないだろう。

 彼女が言うには「生きてるうちに(作者が? 読者が?)完結するんだかわからなくて心配です」とのこと。(まるで「ガラスの仮面」)わたくし的には「ガラスの仮面」よりも終わらせやすいと思うんだけども。ようは恋敵だの並み居る横恋慕ーが全部片付けばいいのだし。たぶん。<読んでないのに断言。
 でも、キャロルはどうなっちゃうの!? というご意見はあるでしょうが、古代に残ってメンフィスと末永く幸せに暮らしましたとさ、というオチが一番読者的に納得でしょうが、キャロルが現代に戻って悲恋としてエンド、という手もなくはない。いずれにしても二者択一しかないでしょう。(<だから、読んでないのになぜ断言)
 アメリカの映画だったら古代に残ってハッピーエンドになる確率が、顧客満足度から鑑みて99%というとこだろうけど、日本では悲恋エンドも人気ないわけじゃないから予断を許しません。
 アメリカのTVドラマシリーズだったら、人気あるうちはがんがん風呂敷広げて、何も収束せぬまま多くのネタを拾い残して視聴率下がったからシリーズ終了、という結末になるでしょう。(だからアメリカのドラマは見たくないの)
 真っ当に読むことなく、しかしどう終わったかはなんとなく気になるマンガとか小説ってあるものです。ちなみに作者の細川智栄子さんはただいま70才を越えているとのこと。おおお。

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2009.10.13

世界は分けてもわからない」、読了

世界は分けてもわからない (講談社現代新書)

 古本屋で買った「深海のYrr」の中・下巻をどうしよう…と悩んでいる間に読む。福岡先生の大ヒット新書「生物と無生物のあいだ」は未読なので、初福岡。
 なせいか、最初、読み出したときはちょっと当惑した。いわゆる科学系新書とは構成というか文体というかが違う。なんか、エッセイっぽいんですけど…。
 と思ったら、元になった雑誌連載があった模様。科学啓蒙本としての書き下ろしじゃないからこうなのか、元からこういうアプローチをする方なのか、何分初読みの著作なのでよくわかりません。

 内容は、まさにタイトル通り。森羅万象、人間の周囲にある全ては部分だけ見たって本質はわからない。そもそも分けようがない。だって、区切りなんてないんだから。
 でも、人の脳は物を理解するために区切れないものを区切り、止まっていないものを止めて、なんとか「理解」できる形にしようとする。ヒトが認識できる形に置き換えようとする。それが、見たいものしか見られないという事態を引き起こす。私たちはわかりたいと切望する何かをわかりたいが故に、本来分けようのないものを無理矢理分けて結局実態から遠ざかっているのだなー。
 しかも、ようやく発見したものをさらに突き詰めて研究していくと、一つの事態が一つの原因から作り出されているわけではなかったりして、調べれば調べるほどピントがぼやけて混沌としていくというのがなんだかなあ。人間の認識力というか、脳の世界の把握の仕方って、世界の理解には向かないところがたくさんある模様。
 でも、知りたい、わかりたい。これって片思いみたいよね。きっと世界の真の姿は、人間には永遠に手が届かないものなんでしょう。

 って、科学系の本を読んだ感想としてはあまりに叙情的というか、感覚的というか、科学とはほど遠いぼんやりぶりですまんという感じ。でも、専門分野のお話はとても理解できたとは言い難く、なので不用意なことは言えません。文章もがちがち科学系というより、最初に書いたようにエッセイっぽいから、こういう読み方でも許しておくれ…。
 門外漢でもおもしろいです。はっとさせられる。そして、私たちには結局「分ける」という世界へのアプローチ方法しかなく、蟷螂の斧で世界に挑んでいくしかない。それはむなしい戦いかもしれないけど、でも人間はずっと斧を手放さないと思うのです。


深海のYrr 〈上〉  (ハヤカワ文庫 NV シ 25-1)

 ちなみに「深海のYrr」の残り二冊はamazon出店のイーブックオフで買いました。二冊で送料込み682円だったっけ。やすっ。本来の価格一冊分以下です。(↑からamazonに行くと、中古価格1円からって出るはず)
 こんなの新刊の隣りに並べてあったら、この不況のご時世、そりゃーそっちに手が伸びますって。
 「深海のYrr」は、なんちゅーか。ちょーおもしろいというわけではないけど(<えらそう)、「ハイドゥナン」よりは好みかなあ…。「ハイドゥナン」はどこかスビリチュアル系みたいなところがどうしても取っつき悪くて。通勤時間だけで読んでたら中下巻で年内持ちそうですよ。

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2009.10.08

生き物を飼うということ

 犬ブログで有数の人気と知名度を誇る富士丸が亡くなったことを今日知った。
 富士丸のブログはたまたま立ち上げ直後に関心空間で見て(飼い主の穴澤さんの知人だという人が紹介していたと思う)、ほんの初期に訪れ、確か一度コメントを書いたことがあった気がする。その後、瞬く間に人気ブログになり、本になり、気がつくと一人と一匹はトレンディネットで連載まで持つようになっていた。
 ハスキーとコリーの雑種の富士丸は親の血筋で精悍な外見なのに、特にまだ子犬に毛が生えたくらいのころはやんちゃでいろいろやらかしていて、その落差が読者としてとても楽しかった。体重30kgの巨体の犬が1DKの男の独り所帯にいるという状況も微笑ましかった。と感じたのは、やはり飼い主の穴澤さんの文章が暖かく魅力的だったからだと思う。男の犬飼いは女性よりも犬との距離が程よく、盲目的ではない深い愛情を素直に行間から受け取ることができた。(その辺はほぼ日でイトイさんと対談している内容からもうかがえる)
 富士丸はうちのアインより若く、だからまだまだ元気で暮らしていくのだと思い込んでいた。トレンディの連載でも変わりなく元気で穴澤さんと遊んでいた。けれども、犬であっても獣はぎりぎりまで元気にふるまってみせるんだろう。その死まで飼い主が不調に気づかぬくらい。

 けだものを飼い始めるとき、一番最初に考えてしまうのは「こいつは自分よりもずいぶん早くに先に死ぬ」ということ。必ずその死を看取らなくてはならない。
 犬は人間にべったりの生き物だから、その分死別の痛みは大きい。実家で飼っていた犬は14〜15年ほど生きて大往生と言えたけれど、当時既に仕事で家を出ていた私は夏だか冬だかの休みで帰省したとき、姿がないのに「ああ、ついに」と内心わかっていながら口に出して母に尋ねることができなかった。父や母もまた、犬の死を自分たちから話してくれはしなかった。私が犬の死について母と話すことができたのは、それから五年近く経ってからだったと思う。言葉にすると犬の死が逃れようもなく固定されてしまうようで、それがお互いつらかった。現実はもうすでに目の前にあるのに。
 両親はそれきり、犬を飼っていない。
 アインを飼うと決めたときも、いずれ訪れる死に覚悟ができずぎりぎりまでぐずぐず悩んでいた気がする。
 今も全然覚悟ができておらず、白内障が進み口の回りが白くなり、全体におっとりと体力が落ちてきた姿に、いずれ来るいずれ来ると自分に言い聞かせている。

 富士丸は直前まで全く元気だったようで、老化や病で心の準備ができていなかった分、穴澤さんのショックはいかばかりかと思う。ブログや連載の行間ににじみ出る情の深さを考えても、本当に立ち上がれないほどつらいと思う。時間がなんとかしてくれるのを待つしかない。富士丸のことが悲しいのと同じくらい、飼い主の気持ちが気にかかる。(犬にも人にも全く現実の面識はないのだけど)
 犬がいる日々は楽しくてしあわせだ。だからその分別れがつらい。大きな悲しみと痛みを感じるほどのしあわせをくれる犬に感謝しなくちゃいけない。
 そう思いつつ、私は今日もアインを「この世界最弱の犬がぁあっ」と邪険にしている。

富士丸 おでかけ日和
富士丸はこんな犬

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2009.10.07

おなごと仕事

 今の派遣先はそこそこ大手さんなので、正社員の女性の皆さんは高学歴でデキる人が結構います。部長課長クラスから高く評価され、高名な企業に研修を兼ねて出向する人もちょこちょこ見ます。その上、業種が古いせいか、女性社員 = 将来の男性社員のヨメ候補的な採用基準でもあるのか、美人率が高いです。正直、派遣された当初は「かわいい娘が多いなー」と親父目線になっちゃいました。逆三高って感じです。
 そのような職場のそのようなデキる女でも、やっぱり結婚退職する人が意外と多いのです。
 理由の多くは彼の職場が遠距離だってことです。転勤で東京へ行ってしまった、などなどの事情により数年の遠距離恋愛をした結果、やっぱり側にいたいし、という結論を出すと、どうしたって辞めるのは女性になるのが現状のようです。遠距離がつらくて結婚するのに、別居結婚という形態はとれないよね…。ゆくゆくは地元に戻ってくるという保証もないし。
 話を聞いて口では「おめでとうございます」と言うものの、心の中では「もったいない…」とつぶやいている私がいます。
 これでまた、この会社は「女性社員は育ててもね…」という意識を強めるんじゃないかと残念な気にもなってます。
 いや、ほんとにめでたいんですけど。祝う気持ちもあるんですけど。

 退職の日にあいさつをしながら、「この決心を後悔しないように、これからがんばっていきたいと思います」と泣いていた人もいました。けして楽な職場ではないから、辞めることになって正直ほっとしたという人もいるでしょう。でも、やりがいを感じている人も当然いるわけで。
 どうにかならないのかなあ…。ならないんでしょうねえ…。
 仮に勤め続けても、今度は妊娠というハードルが来ます。今の日本で要求される子育てレベルを考えると、勤めながらの子育てはたいへんだろうな…と思いますし。
 とは言うものの、さらに以前の派遣先では同じ会社の別部署にダンナがいて、転勤されて別居してて、自分は産休復帰をくり返して二人の子持ちという強者の女性社員の方がいたりしましたが。こういうことがどこの会社でも可能になると、才能のある女性ががんがん能力を発揮できるようになるんでしょうけども。
 無理だよねえ。今後の日本は当分不況だろうしねえ。はああ。

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2009.10.03

ついに公式発表

 実写版ヤマトの制作がオープンになった模様。キムタク、だからよー。ってーか、あのだりげな口調で話す古代はどんなもんか。
 キャストも、まああり、という気もするし、でもなー、という気もするし。まだガセだと思って聞いたとき、沖田さんを西田敏行と想定したとニュースがあって「それはねーだろ?」とご不満になったので、徳川機関長というのはまだ納得のいく落としどころ。柳葉敏郎の真田さんで堤真一の守さんも「あり、かも。だけど」ともにょる気持ちになるのはなぜか(笑)。
 高島礼子は飲んだくれの医者になるのか。
 演技さておきなアイドルや売り出し中の若手を並べず、演技力のある役者さんをキャストしてるのは好感持てるけども。想定観客も大半はロートルの元ネタファンだろうしなあ。
 ガミラス側が、子供心にはどうしても外人さんのイメージだったので、がっつり日本人の俳優さんを並べられると違和感ばりばりかも。デスラーはCGで顔色を青くするのだろうか。

 それにしても、「ヤマト」なんて30代前半以下の年代層にとっては「そんなのもあったらしいねえ」くらいの作品だろうし、内容にも共感しづらいと思うし(なんたって21世紀には廃れたはずの大きな物語のフォーマットだ)、いったいどう作り替えるつもりなんだろう。なぞだ。

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2009.10.01

暑いです…

 10月になったので派遣先のクールビズも終了し、男性社員の皆さんがネクタイとスーツの上着を着用するようになったために、フロアが一気に黒くなりました。しかし、本日の福岡は最高気温が29度。今週は雨が降ったり止んだりしているため湿度が高く、地下鉄の閉鎖空間だと汗がだらだら出てくるくらいなのです。制服に着替える前に、汗拭きシート必須。とても衣替えの季節到来とは思えません。余裕で薄手の半袖服を着ていたい気分。
 なのに電車の中も町中も黒っぽい長袖服の人がちらほら。その上、早くもブーツの人が増えてきました。ボア付のを履いてる猛者もいます。
 無茶すんなって! 九州で東京と同じ進度で服の厚みや色を求めてはいかんて。今、あなたのブーツの中はどえらいことになっているんじゃないの?
 季節なりのおしゃれをするのはたいへんです。最早私にはそんな無茶をする気力は残っていません。
 でも、みんなが色の濃い長袖を着ている中、白々とした色の服を着るのは目立つしなあ…。
 ユニクロのちらしが黒っぽくなっていくのがうらめしい。<黒くなり始めるとむりやり秋支度をする人が増え始める。

 スーパーも鍋の材料を置くようになってきました。みんな、もう鍋食べるのか…。

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