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2009.12.29

納得いかないお悩み相談

 リビング新聞というフリーペーパーがある。全国で地域ごとに発行されているんで、別内容ながら「リビング○○」とか「シティリビング」とかってぺらっとしたフリペを読んだことがあるという女性は多いと思う。
 女性、というのは基本的に女性をターゲットにしたフリーペーパーだからで。福岡でもオフィス用とご家庭用と二種類出てて、私も職場でOLさん用、家に投函されてるので家庭用の両方を目にする。特に娯楽もののないオフィスで休憩時間に読む活字はそれなりに貴重だったりするんで。
 何分「フリー」なんで広告だらけなのは仕方ないし、飲食店のクーポンが役に立つこともあるから、細々したことは言うのもヤボなんだけど。それでも最近、目にするたびもにゃーっとした気分になるのが「カウンターにいらっしゃい」という悩み相談。中州のママさんが読者のお悩みに答えるというコーナーなんだけども、その悩みの解答がこー。読んで釈然としないのです。単に私の価値観と合わないだけなんだろうけども。
 先日もにゃーっとなったのが「ダンナが送ってきたデートのお誘いメールが明らかに自分宛でなかった。ジョークメールだと言い訳されたもののすっきりせず、思い切ってケータイを覗いたら浮気っぽい内容のメールを発見。だまって様子を見ているけれど、事態は進行しているようでちゃんと釘を刺した方がいいでしょうか?」みたいな相談。答えは「殿方にはそういう気持ちがあるもの。夫婦というのは長い人生片目をつむってやっていくものです。はっきりさせたところで、それで別れようとなったらどうしますか? そもそも彼の携帯を見たのが間違いだったのです」みたいなお返事に思わずはあ? 片目をつむるのは互いの欠点に対してで、浮気はどうなのよー。女好きも欠点といえばそうかもだけど。それに、ケータイだって闇雲に見たんじゃなくてウラがあるから見たんだし。紳介の言うとおり「ケータイの中には妻のしあわせはない」としても、こいつ浮気してるなーと思いながら平気な顔して一緒に暮らしていけるかというと、今時価値観としては無理じゃないですか。

 目にするたびにもにゃるのでなるべくスルーしていたお悩み相談、またもやウッカリ読んでしまったのがこれ。(解答のテイストを紹介したく、以下まるっと引用)

 「付き合っている人の、大阪への転勤の話が出ました。姉は東京で旦那さんの両親と同居。私も結婚を考えていますが、住み慣れた土地にいたいと言う母を残して、大阪に行くか悩んでいます。31歳」
「チャンスは逃したらいけませんよ。31歳、結婚の一番の別れ目、このままではオールドミスになるかもしれません。いろんな女性が『あの時、結婚していたら今頃は子どももいて、少しは楽しく過ごせたのに』…なんて言っている話をよく聞きます。それはあなたが悪い。人間は決心をする時には決めないといつもズルズルと人生を生きなければいけなくなるよ。
 子どもの産めない年になって『あの頃…』なんて言われても、その時私がそばにいたのなら「今よ」と背中を押せるけど、今となっては「人生は出会いだから知り合った時期が遅かったのね」と言うしかありません。あなただって、そうたくさん恋愛したとは思えません。初めてのプロポーズだとも思いませんが、今が年齢的に最後のチャンスだと思います。親は子どもの幸せを望んでいるはずです。
 相手の方の経済的なことはわかりませんが、二人で母親を説得してみてはいかがですか。それでも母親が断ったら、まだ一人で暮らしていける、と体に自信があるのだと思います。そうやってあなたが結婚して大阪に行き、本当に一人になった時に寂しくなったり、食事の用意すらすることができなくなったら住み慣れたところを離れたくないなんて言えなくなるでしょう。
 友人や近所の人が何かしてくれるわけがないんだからと悟ると、やはり娘のところに行こうと必ず思われるでしょう。あなたが親に対する心を鬼にして、何が何でも結婚することが第一だということです。
 親孝行なあなただから、気持ちに負けてここで結婚しなかったら、十年先にはオールドミス、お母さんは他界されたあと、一人で後悔しても誰も助けてくれませんよ。「さあ、早く」と肩を押してあげたいです。お願いだから」

 …オールドミスって久しぶりに聞いた。まだ死語じゃなかったのか。
 親御さんも心配でしょうけど、今はご自分の幸せを第一に考えましょう、という結論に対しては、特に異を唱えはしませんけども、読み終わると「なんかこー。びみょーにもやっと感が…」と思うのはなぜなんだろう。結論は同じでも、そこに至る価値観が昭和っぽいというか…。
 オフィス版は私より遥かに若い世代がメイン読者だと思うんだが、この解答に「そうよね!」と納得しているのだろうか。なぞ。

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2009.12.27

男なら見ろ

 今年ももう数日で終わりだそうで、何か振り返ることがあればいいけども、年半ばは暑さで終わりの方は貧血だかなんだかで不調を被って特に何もできないうちに過ぎたというていたらく。来年どうにかなるあてもないのが困ったとこだけど、とりあえず当面仕事があるだけでも今のご時世ありがたいことなのでがんばっていくしか。生産性については、そんなわけで様子見の日々です、すみません。
 いかんともしがたいヲタのはずだった私もすっかりTVのアニメを見ず、というか、そもそも民放をむちゃくちゃ見なくなり、つけてるTVのおそらく八割近くがNHKです。NHKけっ、という人はたぶんそもそもTV見てない人じゃないかと思われ。だって、それで他に民放の何を見るのかと思うくらいこー。予算削減のあおりなんだか、一部の良心的な番組と冴えたバラエティ以外はこれってものはないですよねえ…。<と、見てないやつが言うな。

 そんなわけで来年も引き続きNHKの回し者化していく所存のわたくしが年末に見て燃え燃えになったのがハイビジョン特集「出動 空飛ぶ消防士」。11月に「Wonder×Wonder」でやったものの長尺版と言いましょうか。シベリアのタイガで起こる森林火災の消火に挑む消防士さんたちの特集です。
 これがもー! ザ・男の仕事!!! って感じで見てて燃えるし頭が下がる。
 森林火災は昔からあったものの、温暖化の影響か最近は全世界で発生件数が増え気味。夏のシベリアでは乾燥のために積乱雲の雨は地上に届かず、雷だけが森に落ちる「ドライライトニング」が多発して、これが森林火災を引き起こす。放っておけば莫大な面積が焼け野原になり、近隣の集落の暮らしに被害が及ぶ(延焼に巻き込まれるというだけでなく、森からの収穫が得られなくなる)。地球に酸素を供給する貴重な森林が失われることにも繋がり、これを鎮火するための消防隊がロシア各地に配置されているんだそう。
 初期消火に向かうチームは五人編成で、道路もなくヘリの着地スペースも確保できないことが多い場所だけに隊員たちはパラシュート降下で現場に向かう。わずかな平地は夏場にできた沼などのケースもあり、ぬかるみの中に着地して泥だらけになることも。大量の水や消火剤を運ぶのは不可能な火災現場での彼らの武器はチェンソーやスコップ。風向きや木々の生え具合から延焼の方向を見極め、地面に幅30cmの溝を掘っていく。初期消火であればこれで規模の拡大が防げるんだそう。でも、たった五人でひたすら溝を掘り続けるんですよ…。完全鎮火を見届けるまで仕事は続くので、いったん出動したら十日近く森の中で暮らすことも少なくなく、水を探し池で身体を洗い缶詰と乾燥食材などで食事を作る生活はなんだかサバイバル。
 しかも火災は増える一方で、一カ所の初期消火にめどが立ったとたんにまた別の現場に飛ばされることも多々。もちろん初期消火では間に合わないこともある。乾燥したタイガでは積もった落ち葉が腐って堆肥になりきれず、落ち葉の層になっていることもあり、ここと木の根を伝って火が地面を這い進んでいく。これもひたすら地面を掘り、見つけたわき水で一つ一つ鎮火。途方もなく気の長い肉体労働が続く。だから、出動の無い日には身体作りが欠かせません。
 ソ連時代はそれなりに厚遇で装備も賃金も仕事に見合っていたようだけど、ソ連崩壊後は予算の削減が続き、ヘリも機材も老朽化が進み、薄給に耐えかねて職場を去る人が増えたとのこと。でも、現場に残った人々は過酷な仕事にやり甲斐を見つけて、日々出動して行くのです。
 取材した部隊の無線係は精鋭パラシュート部隊隊長の奥さん。夫は隊配属間もない隊員時代に着地に失敗して大ケガをし、一年近くも病院で過ごしたことがあるのだとか。出動の多い夏の三ヶ月は家にもほとんど帰らないため、2人の子どもと家を守る。危険な仕事だし、本当は早く辞めてほしいと思うけれど、とおっしゃっていたけど、隊長の働きぶりからしてそれは叶わぬ望みのような…。

 とにかく「男ならこれを見て燃えろ!」と言いたくなる、すごい番組です。再放送を見かけたらぜひ。地上波のみの方は「Wonder×Wonder」版でも。
 ちなみに長い仕事から帰ってきた隊長と奥さんは固く抱擁。最後に垣間見えた夫婦のらぶらぶぶりも、過酷な仕事に立ち向かう夫への信頼と尊敬の成せる技でしょう(笑)。

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2009.12.25

みんな違ってみんないい

 子どもの頃からケーキ好き。
 小学生のときに台所に立つ気になったのは、ひたすらホットケーキが食べたいからでした。(ホットケーキが「ケーキ」かを追求しないように)
 おかんが作ってくれるのを待っていたら、次がいつかがわからない! だったら自分で作ればいいのだ、というのが私の発想。それをきっかけにクッキーだ、シュークリームだ、なんだかんだとお菓子を作るようになり、しかしスポンジケーキだけはことごとく負けの出来が続き、15cm型のへしゃげたスポンジを泣く泣く一人で食べたこと数えきれず。子どもが泡立て器で共立ての卵のちょうどいい頃合いを判断するのはむずかしいのであった。
 スポンジケーキだけはその後も全く上達することなく、今日に至るまでも鬼門なのである。
 それにしても、食い意地は料理に対する何よりの推進力であるな。

 ケーキブッフェと聞けば駆けつけてとりあえず味見、がポリシーであったのは、しかし、今は昔。ここのところすっかり食の量が落ち、それとともにケーキに対する貪欲さが急激に薄れて自分でも愕然としています。なんか、生きてる実感が失われていく感じ。老いをしみじみ実感する瞬間です。こんなの私じゃない! とすら思う。思うけれど、身体がついていかないのであった。こうして老後の楽しみが失われていく…。
 何より腹が立つのは、昔ほど食べられなくなってるってのに、それでもやせないどころか太ることだね!(笑)

 ケーキが好きと言っても、私の場合パティシェなる人が作ってるようなちゃんとしたケーキじゃなきゃイヤ! というわけではありません。むしろ凝りまくったケーキよりは素朴系が好みだったり。そして、いわゆるパン屋のケーキでも、あれはあれで好きだったりします。カップケーキに投げやりにデコレーションされた、生クリームではない謎のクリームが使われてるようなのも、それはそれでおっけーです。
 それらはみんなカテゴリが違うケーキなので。デパ地下に入ってる一個400円以上のケーキが目白押し系と二個入りで400円くらいのスーパーで売ってるケーキは、あれは別物としてそれぞれ存在してていただきたい。
 みんな違って、みんないい。勝負の舞台が違うんです。
 でも、最近のケーキはどのカテゴリもレベルが上がってるけども。コンビニのケーキでもそこそこおいしいし。

 なんてことを思ったのは、別にクリスマスだからではなく、職場でとってるお弁当にデサートのケーキがついてきたからなんですね。(クリスマスだから、だけども)これがまた、今時の「甘くなくておいしい」を真逆で行くようなやつで。食べた瞬間、子どもの頃に地域の子供会でもらったカップケーキになげやりデコレーション系の味がしました。ノスタルジックな駄菓子っぽいケーキ。昔々よくあった、バタークリームの白いケーキ、表面がロウみたいな固いナニカでコーティングされていたアレの味です。(ネットで調べたら、昔のバタークリームケーキは、実はショートニングやマーガリンが代用されたクリームでできていたらしい。なので、本当のバタークリームは「あんな味じゃない!」そうです)
「うん、これはこれで、存在に見合ったおいしさである」なんて思っていた矢先、若い同僚が「これはひどいですね…」と苦笑い。なんと彼女はバタークリームのケーキを食べたことがなく、甘さといいべたっと科学的な食感のクリームといい、受けつけないおいしくなさなんだと言う。
 いや、これはこれでこういうものなんでしてね…。
 ってゆーか、バタクリのケーキを知りませんか、あなたは!<驚愕。<大げさとお思いでしょうが、私的にはかなり本気で。
 おばさんはまた、新たなジェネレーションギャップを噛みしめてしまいましたよ…。

 ふと懐かしくなって、あの固いコーティングの量産型白いバターケーキがないものかネットで検索してみましたが、おいしい「本物の」バターケーキしか見つからず、子ども心にも舌触りがちょっと悲しかったロウみたいな食感のケーキは今やすっかり絶滅の気配です。懐かしさのあまり似たようなものを買って帰ったら、子どもにまずーいとしかめっ面をされたというパパの日記など見つかってみたり。
 ホールケーキといえば、基本は生クリームのデコレーション。いつの間にか日本は豊かになったのだった。(今は岐路にあるにせよ)

 おばさんは悲しかったので、件の同僚に「タヌキのケーキって知ってる?」と尋ねたところ、やっぱりこれも知りませんでした…。
 タヌキのケーキ、街の小さなケーキ屋さんによく売られていたものだが。今は使われているクリームも「本物」なんだろうな。

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2009.12.24

ミーハー再び

 サザンメイドってミスドのリッチドーナツとどう違うの? などと暴言を吐いた以上、確かめなければならないでしょう!
 と自分に言い訳し、仕事帰りにミスドへ。考えてみるまでもなくクリスマスイブの夜にドーナツ買って他に何もなしというのもなんとなく物悲しいですが、ドーナツ買わなくても何もないからいいのだ。
 比較用に買うので、リッチドーナツのハニーデッィプとチョコエンゼルをセレクト。当然のように割引クーポンを持っていきまして、二つで200円です。チョコエンゼルは普段の100円セールの対象外になることが多いので、安く買うにはクーポンが無難。
 こないだと同じようにブラックのコーヒーを準備して、一口ぱくり。
 おおおお、さすが日本初上陸を謳うだけはあるぞ>サザンメイドドーナツ。
 ミスドのハニーディップは生地が重くて油っぽい。よく言えばどっしり。一個食べた後の充実感たっぷり。悪く言うと、続けて二個は食べられない(^^;)。蜂蜜のせいか、甘みもはっきりしたくせがある。サザンメイドドーナツのあっさりした食べ口とは明らかに違います。
 チョコエンゼルは、別に似たものがサザンメイドにあるとかではなく、単に食べたくて買った(爆)。こちらは最近流行りの「あんまり甘くなくておいしい」系の味で、生地も油っぽさが遠いです。チョコもぎっとりとした甘さがない。二個食べろと言われたらハニーディップよりもチョコエンゼルかなあ…。

 というわけで、私の舌を信じていただけるなら味的にはサザンメイドドーナツの勝ちです。
 ただ、サザンメイドは予想通りクリスピークリームと同価格帯、つまりプレーンドーナツが160円なのでした。ハニーディップの約1.5倍のお値段なので、そりゃそのくらいおいしくないとなんとなく納得できない。関東より物価の安い九州ですから、関東価格で勝負するのは味だけでは結構厳しいかと。特に出店した場所が天神に比べるとぐっと庶民の街だからなあ…。「100円セール中だし、無理しないでミスドにしとこっ」てことにならないかしら。
 てゆーか、あの場所、私が初めて見た閉店したスタバのあったとこなのよね…。
 先行きにやや不安を感じるので、目新しいうちに人様へのお土産などに活用しつつ味見していこうっと。

 さて、ドーナツ二個、合わせて400kカロリーを食べたからには、どっかり重い夕食はなんだかね、と思い、焼き魚とみそ汁ともやしと茸のソテーを作りました。しみじみとクリスマスイブと遠い食卓だのう…。

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2009.12.22

あきたなあ

 その人は20代後半。ちょっときつめの顔立ちながら、たぶん誰もが美人にカテゴライズすると思う。グラマーではないけどスレンダーで、かわいい服もかっこいい系の服もほどよく着こなします。そして、見た目に反して気さく。ざっくばらんな物言いも取っつきやすさを感じさせます。
 何より既婚(笑)。転勤族ながら固めの職に就くダンナは、ツーショットの写真を見た誰もが「かっこいーじゃん」「美男美女のカップルよねー」と言います。ってことは、世間的には婚活女子がうらやむいわゆる勝ち組。人生には憂うことはない、ってのは人間である以上無理だけど、日々そこそこ安定した気持ちで過ごしていけるはずの人。
 その彼女とたまたま帰宅時間が同じで、職場の出口で一緒になったときのこと。彼女は何気なくこう言ったのです。
「あー、あきたなあ」
 何に飽きたのか、実はすぐにわかってしまいました。その人は重々しく言うと、生きることってゆーか人生に飽きたと言ってたんです。
 女子ロッカーでの会話でそれを感じさせることをちょこちょこ口にしてはいました。「特にこれってやることないんだよねー」「ダンナに何が楽しくて生きてるの? って言われちゃってさ。確かに何もないなと思って。でも、それってお互いさまっていうか」
 別に、だから死んじゃいたいとか、毎日がつらいとか、そんなことはない。日々はそれなりのちょっとした楽しみとともに過ぎてはいるんだと思います。でも、たぶんこっぱずかしい言い方をするとはっきりとした生き甲斐、みたいなものがないんだろうな、と。
 これがあるから人生楽しいよね、っていう趣味がないのかもなあ…。
 いや、私も人様に胸張って言える趣味とかないけどさ。とりあえず老後に読まなきゃならない本とか、見逃したままになってる映画とか、ぼんやりしに行きたい場所とかいろいろあるんだよ。ささやかだけども。

 「年取るとどんどん時間過ぎるの早くなるから。20代より30代はびっくりするほど早く過ぎるから」と彼女に言ったら、「そうですねー、小学生のときとか今考えると六年間ものすごく長かったですしねー」と笑ってました。「あきたなあ」は別に思い詰めてではなくなんとなく言った言葉で、深刻さは欠片もない。
 でも、何気なく人生に飽きることができるってなんだかすごいなあと思いました。<物欲にあふれる命根性の汚い世代のわたくし。

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2009.12.19

ミーハー全開

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 福岡ではこの冬一番と言われる寒波来週中の週末、昼にふらっと思い立ち、来週正式オープンの「サザンメイドドーナツ」の試食販売に並んでみました。
 どうも関東に展開してる「クリスピークリームドーナツ」系のドーナツっぽい。東京に行ったときはまだまだ行列が長くて食べるチャンスがなかったし、代わりにって気持ちもあり、何より好奇心があり。
 12時から開始のところ、ちょい過ぎていたからダメならダメで昼食の買い物して帰ればいいや、というノリでしたが、場所が西新ということもあってか余裕で購入権代わりのアンケート用紙をGET。てゆーか、並んでいた人のほとんどが店舗の入ってるビルの地下にあるスーパーに来てたお客さんですがな(^^;)。なんだかよくわからんけどドーナツ安く買えるみたいよ? ってノリでアンケート用紙もらって並んでいた模様。
 さすがの寒さに対応して、アンケートと一緒にカイロもくれました。
 ちなみに試食販売は三個入りのセットのみ、割引クーポンが一綴り入ってるそう。一つ百円というのはドーナツ一つ、という意味で三個入りだから三百円なんだけど、一箱と誤解を招きかねない書き方になってたような。

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 そんなわけで、一箱三百円のドーナツです。パン系の生地にグレーズがかかってるタイプ。気持ち小さめのような。ふわふわした食感で甘みはほとんどグレーズのみと思われ。脂ぎってはいないから、その気になれば三個くらいは一人で食べられます。カロリー考えて独り占めはやめたけど。暖かかったらさらにおいしそうだと思わせたのは、クリスピークリームの話を聞いていたからかも。この手のドーナツはコーヒーによく合う…。
 ただ、福岡の物価を考えると長持ちできる店かはびみょー。このプレーンドーナツが本来価格130円以上だったらかなり苦戦すると予想。(ミスドのリッチテイストが115円なんで)首都圏ほど情報収集好きの新し物好きがいるわけじゃないから行列ができるとかの話題を提供して盛り上がる可能性が低だし、何より立地がスタバ史上かなり売り上げ低ランクだった店の跡地だもんなあ。撤退したスタバって初めて見たもん。早く他によさげな立地を見つけて移動するがブランド的には吉かと。
 とか考えると、福岡にドーナツプラントが進出することはまずないな…。一個あたりが高すぎる。

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 中に入ってたクーポンがまたちょっと使いにくい。500円以上で1枚使用可。切り離し使用は無効。9枚全部使ったらドーナツ一個さし上げます、だそうですが、私は9枚使い切る自信ないよ。人にもあげられないしねえ。
 お店が生きてるうちに、今度はトッピングタイプなどを味見してみたいと思います。

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2009.12.17

「世界カワイイ革命」、読了

世界カワイイ革命 (PHP新書)

 今、世界中で日本の「カワイイ」が大人気!
 作者が実際に体験した世界各地の「カワイイ」好きの若者たち、彼らの参加するイベントについてをレポートした本。
 読んでてちょっと書き方がくどいなーと思った。日本人が気づいていない、各地の若者たちの「カワイイ」愛を伝えたい! という熱気の成せる技なんだろうけど。
 アニメやマンガをとば口に、ネットを情報源として日本のファッション、特にカワイイものに熱狂するフランスやイタリアやタイや韓国の娘さんたち。日本人から見れば、金髪碧眼にばんきゅっぼーんなスタイルを持つ欧米人がロリータな服を着たら日本人なんか眼じゃないわ、と思うけど、現地の人たちにしてみれば、日本発のファッションは日本人の外見を持って着てこそオリジナルのようで、だから日本の娘さんが着ているのが一番「カワイイ」のであり憧れの対象なんだそうです。
 …わからん。しかし、ファッションとはそういうものなのかもしれん。
 彼女たち(もしくは彼たち)はロリータ服や制服を着ると本当の自分になれた気がするといい、「ロリータは私の生き方なのです」とまで言ったりする。服装が人のポリシーを担う部分があるのはわからんでもないが、そこまでを口にする娘さんがこんなにいるのもなんだか。思春期とか若い頃はいろいろと煮詰まったり現状が窮屈だったり不満を感じたりするものだけども、自国にない、ネットの向こうの国の文化にその鬱屈を打破するものを見ているのだろうか。
 当のその国に住むものとしては、過大な期待をされてもなー、と恐縮してしまいます。
 文化というのは片思いであるなあ。日本の娘の学生さんは未だにルイ・ヴィトンのサイフなど持ってたりしますよ。

 日本以外の国では成人した女性が子どもっぽい「カワイイ」ものを好むのははばかられるところがあったと聞いたことがあります。アメリカなんかはセクシーな女っぽさを身につけてこそ大人の女、みたいな。私のようにエエ年こいてキャラグッズに眼がないなんて、許されぬ。
 でも、やっぱ可愛いものはいくつになってもかわいいよねっ。
 と言ってもいいんだ、という開放感を日本の「カワイイ」から知ったというのはあるかもしれません。今や各地のセレブがキティちゃんグッズ好きを口にするらしいし。もっとも、「タブーに反抗できる私」を意識してのことかもしれず、可愛いものを好むことが世界的に許される雰囲気ができたらすっかり廃れるかもしれないけども。

 私は一般人なので↑のような読み方をしたけども、娘文化に疎いビジネスマンの皆さんはいろいろと学ぶところがあるかもしれません。
 ギャル文化なんてけっ、というか、よくわからんもんね、的な感覚のおじさまたちは、カワイイも捨てたもんじゃない、どころでなく、輸出兵器として旬な時期にもっとちゃんと評価した方がいいんだ、みたいな。著者が言うように、資金力の乏しいカワイイ系ファッションの担い手たちにもっと力を貸して海外進出の後押しをしてあげよう、とか。

 ただ、サブカル系(今や死語?)が好きな身としては、官とか資本とかが表舞台に引っ張り上げちゃうと、そういうものの味わいって失われるような気がしてしまうんですよね。韓国や中国がアニメやアイドルを国の輸出産業としてバックアップしてると聞くと違和感を感じるのもそのせいで。
 むずかしいところです。

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2009.12.11

もう一度やり直せなくていい

 ↓の「マイマイ新子」を見て改めて思ったのだが。
 バラエティとかで「人生やり直せるとしたら、どのくらいからがいいですか?」なんて質問してることがあるけど、わたしゃーもうやり直したくなんかないですよ。特に今小学生とか中学生くらいからやり直させてあげる、なんて言われたら強く固辞したい。
 だって、最近の子ども社会はしんどそうじゃないですか。
 「マイマイ新子」の時代も楽しいばっかじゃないし、ケンカとかいじめとかもあるかありそうなんだけど、なんちゅーか、全体に人間関係が雑なんですよね。いい具合に。いじめとかやってもそのうち飽きるような。引っ張り続ける細かさが無いというか。
 私も子どものころは結構いじめられましたが(^^;)、今ほど深刻に追いつめられずに済んでた気がします。それで死のう、とか、がっこ行かずに家に引きこもろうとまでは思わなかった。あのころは学校に行かないという選択肢があるなんて考えたことも無かった、というのもあるけど。
 女の子のコミュニティは昔から陰湿なとこがあったけど、今はさらに磨きがかかってるように思えます。子どもいない人の気のせいでしょうか。
 なんでこんなふうになっちゃったんでしょう。子どももたいへんだよ。

 いずれにしても、ケータイ電話のある時代の子どもはやりたくない。根がずぼらだからとてもやってけない。30分以内に返事出せとか勘弁してよ、であります。そんなことしてたら、落ち着いて本が読めないじゃないか。

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2009.12.09

「マイマイ新子と千年の魔法」を見ました

 わりと渋い映画評、アニメ評を書く人々が絶賛している「マイマイ新子と千年の魔法」を見てきました。福岡では11/21からキャナルシティで上映していたんですが、この週末11日の金曜で終映。滑り込みのレディスデーを狙ったら、シネコンなものでチケット売り場が大混雑なんですよ、奥さん! てゆーか、キャナルなんていっつもレディスデーでもがらがらじゃん、どうなってんのよ?
 と、いらっとしながら行列してたら、キャナルにはこないだたぶん福岡初の3Dスクリーンができて、「カールおじさんの空飛ぶ家」をやってるんです。それか! それ狙いの行列か!
 「今、予告編の上映中です」というチケット売り場のお姉さんの言葉を背に脱兎のごとくエスカレーターに乗り、スクリーンに突っ走ると、確かに「カールおじさん」の小屋の前にがっつり大行列。ああ、やっぱりねー。それを脇目に奥の「マイマイ新子」の小屋に入りますと、結構いい席に余裕で座れるがらがらっぷりでした。しかたないわねー、番宣もあまり聞かない映画だし、私もネットの評判聞かなかったら見なかったと思うし。
 しかし、キャナルのスクリーンはシネリーブル博多よりもでかくていい。

 「マイマイ新子」はあらすじとか紹介しちゃうと、昭和30年代を舞台に山口に育つ想像力旺盛かつワイルド(笑)な小学生の少女、新子と、父の仕事の関係で東京からやって来た引っ込み思案の転校生、貴伊子の友情と成長をメインに描いた児童文学っぽいアニメ映画、ということになる。そういうぱっと見はありがちな内容なので、当然のように人に語るとなると今ひとつ印象が地味なんである。主人公二人とも少しばかり特徴があるとはいえ「普通の子」の振り幅の中に収まっているから、ドラマチックな展開などできないしやったら不自然だし。大感動の出来事が起きて、大団円でみんなで歓声上げてEND、みたいな話にはならない。これは派手に広告打ちにくいよなあ…。
 でも、なんてーか、見ると本当にいい映画ではあるのだ。確実に。とても丁寧に作られた、流行り廃りとは違うところにあるアニメ。
 こんなふうに簡単に括っちゃうと怒られると思うけど、ものすごーくわかりやすく言うととてもとてもよくできた日本の「赤毛のアン」という感じの話。だって、ウイスキーボンボンのくだりなんて、幼少時にアンを読んだ身としては即座に重ねて見てしまうわけで。(とか言ってたら、原作の高樹さんがそもそも和製アンをイメージして書いてたんだとか(^^;)
 「マイマイ新子」がアンと違うのは、男の子も含む田舎のコミュニティが描かれているのと、夢で覆いようもない現実がアンよりもミもフタもなくどかーんと放り込まれてくることだと思う。子どもたちの子どもたちなりに揺れるコミュニティに、さらに自分たちには知りようもない大人の事情が突然襲いかかってくる。新子の過剰までの想像力と夢ぶっ壊しの現実が共存して、その中で遊んで笑って泣いて幻滅して、「明日も遊ぼうね」と言って別れていく、そういう子どもの世界と大人の世界がものすごい危ういバランスで地続きになってる物語。
 ただ、これを万人に勧めて「おもしろいっ」と言ってもらえるかというとちょっと悩む。そのひっかかりが、ハマった人には魅力であろう、この映画の最大の特徴である「千年の魔法」の部分だったりする。新子の想像力がダダ漏れにあふれるとき、現実と彼女の想像の世界はあまりにも自然に、フラットに同居してしまう。(魔法とは魔法少女のそれではなく、新子を始めとする子どもの想像力のこと)その描き方になじめない人はなじめないと思う。そもそもなんでこんなにも無意味に現在(といっても今から50年くらい前が舞台なんだが)と千年前が共存しちゃうの? みたいな。
 その辺は、この映画がそもそもすでに過去の物語であるというあたりでうまく乗り越えてください、と言うしかない。千年前を思うヒロインを見るそれからさらに50年後に住む私たち、は同じ場所にいるよね、という。

 子どもの力では現実には何も解決されないし、どんなに仲のよかったコミュニティにも別れのときは来るし、夢の時代は永遠には続かない。そもそもその時代はきらきらしいものだけでできてもないし。でも、苦いものも含めて豊かであった。と振り返れるときを持っているのはしあわせだろうなと思う。

 なんか、ネットを眺めてると絶賛してるのは主に男性なのはなぜなんだろう?(^^;)
 この話、新子と貴伊子の女子的友情物語であるのは間違いないんだけど、私はあの二人で敵討ちに行った夜、新子はタツヨシくんに全く無意識の初恋をしたと思いますよ。(<勝手な解釈)王子様でもファンタジーでもない、日常の延長の目の前にいる人をちゃんと認めるという恋。そういう意味でもあの夜は、新子にとって後で振り返って特別な体験になるんじゃないかなあ。あくまで、後で振り返って、ね。<女子的に見落とせない淡い部分もあるよ、というさりげな主張。
 挿入歌もよいですが、エンディングの曲が内容に合っててしみじみするので、帰るのは劇場が明るくなるまで待つように。

○追記
 読み直すとえらく淡白に感想書いてるけど、実は見始めてしばらくすると評判通りなんだかよくわからん涙が出て困りました。懐かしさとかわかりやすい感動とか、そういうのじゃないんですよね。自分でもあれあれっ? みたいな。
 興行成績が悪いと以降のメディア化に影響が出るらしいので、上映終了後見る機会がどうなるかわからんとこですが、レンタルやらTV放送やらで接する機会がありましたら、女性の皆さんもぜひ。

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2009.12.07

「ゼロの焦点」、読了

 あのー。新潮文庫版を読んだんですが、この解説サイアクですから。買った人は絶対読んじゃダメ。終盤までのざっくりした展開、特にミステリとしてのキー部分がほぼ暴露されてます。何考えてんだよー。私はわりと解説を先に読んじゃう質ですが、今回はいやーな予感がしたのでざっと眺めて読むの止めてました。よかった、避けといて。平野謙なる人の解説だったら即回避をオススメします。

 この話は警察関係者が大きく関与したり颯爽と名探偵が現れたりしないので、最後まで読んでも「これはこうだったのだー」と作者が正解を出したりしません。事態の真相についても細部はヒロインの推測でしかないというオチですが、これはがっちがちのミステリとして読む話じゃないってことでしょう。
 肝心の謎部分も、これがさすが二時間サスペンスの元祖とイッセー尾形氏が先日のNHKBSの松本清張特集番組で言ったように、劣化コピーな話がなんぼでも出てきてる昨今なもんで、行方不明のダンナの前歴が出てきたあたりでだいたいの犯人と動機が想像できてしまうのです。で、やっぱり想像通りの結末であったと。
 じゃあ、つまんない小説だったかというと、そんなことはなく。時代が半世紀くらい前なんで価値観とか生活感とかが変わってる部分はあるものの、ヒロインの心象はそれなりに共感できる。あと、戦後間もない、私の知らない時代の空気を追体験することもできる。50年でいろんなものが変わっちゃうんだな、というのと、人の心情なんてのはなかなか変わらないんだな、というのを両方読み取ることができます。古い小説を読むと感覚の違いばかり気になることがあるけど、「ゼロの焦点」はその辺が程よくて、さすが松本清張巧の技だなーと思いました。<えらそうですか。
 いやー、奥さん病のときに作った愛人を死後後添いに入れても、このころはあんまり驚いたり不実だと思ったりしないんだなー(^^;)。

 以下、オチに触れる感想とか。
 映画でも出てくる女性三人をメイン押ししているだけあって、ヒロインだけでなく映画で中谷美紀が演じている金沢の地元企業の社長夫人、木村多江演じるその会社の受付嬢と、みなさんそれぞれに芯のあるキャラです。受付嬢は、実は思ったより出番少ないんだけど、曾根さんにかけた情の深さとかかつて世話になった、振り返りたくない過去に関わる人にちゃんとお礼状を出していたりとか、要所要所で人柄をきっちり押さえてある。社長夫人は、今時尺度からすると結婚の経緯にちょっと「?」を感じはするものの(^^;)、知的で気が利く魅力的な女性でヒロインも好感を抱いている。
 でも、ヒロイン以外の二人の女性は、実は戦後米軍兵相手の娼婦をしていた時期があるわけで。
 そして、その過去が犯罪のきっかけになるわけだけど。
 松本清張は、二人のことを堕ちた女だとは書いてない。たまたま時代の巡り合わせが彼女たちをそういう境遇に置いたのであって、今は違う道を歩んでいるのなら過去は問うべきではないと言っている。(この辺の立ち位置はヒロインが正月に見る討論番組、という形で提示されていると思う)
 けれども、当事者たちにとってそれは人を殺しても隠蔽したい過去になってしまう。なぜか。

 新潮文庫版の問題多い解説の中にこんな一文がある。

 ただ良人がかつてパンパンとよばれた女性と一年以上にわたって同棲したことや、自分がその女とみくらべられたことに対する女主人公の潔癖な嫌悪感が、いささかも描かれていないのは片手落ちだろう。

 ね。こんな人がいるから、あの人は人殺しをしなくちゃならなくなっちゃうんです。
 この辺の、世間の差別や偏見が人を犯罪に向かわせるという構造は「砂の器」とかと同じなのですね。
 物悲しいお話です。


 映画の禎子さんの夫役が西島秀俊なのが、みょーに説得力あるような気がする(笑)。
 本多くんの好意が単なる善意、というだけじゃないような、と思い出したら、禎子さんも距離の取り方に悩んだりして、その辺もリアル。
 そんなに一生懸命やったら死亡フラグが立っちゃうよ! と考えてる自分をいかがなものかと思った。

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