2009.01.11

「ミス・サイゴン」を見る

 諸般のいきさつにより、博多座で公演中の「ミス・サイゴン」を見に行きました。
 翻訳系のミュージカルはいくつめだろう? 「ライオンキング」「オペラ座の怪人」「キャッツ」と四季の有名どころは一応見てるけど、古い日本人としましては、なんちゅーか、こいごころとかをストレートに高らかに切々と訴えるように歌われると、おちりの座りがごにょごにょもじょもじょしてしまうのでございます。翻訳物の場合、元歌は一音に一単語乗せられるところを、日本語にする際に一音に一文字にせざるを得ず、結果歌の情報量がものすごく減ってしまって細やかな心情が盛り込めない難を端から背負ってるしなあ。
 という、ちょい引き気味の気持ちはあるものの、この手の大型海外ミュージカルは舞台装置が派手で工夫満載ですから、そっちは非常に楽しめるのです。「ライオンキング」は、話はまー、アレで日本のマンガ好きとしては眉間にしわを寄せざるを得ないんですが、どんどん変わる高さまである舞台の変化は「さすがエンタメ!」って感じで見応えがある。ので、どっちかというとそれを楽しみに見に行ったのだったり。「ミス・サイゴン」は舞台にでかいヘリコプターだのキャデラックだのが出てくるそうです。
 「ミス・サイゴン」と言えば本田美奈子.じゃなくて。ベトナム戦争時代に村と家族を失って売春宿に流れ着いた現地の少女とアメリカのG.Iの悲恋ものということになってます。可憐なベトナム娘と一夜以上の関係になったもののサイゴン陥落で彼女と生き別れ、引き裂かれる思いで本国へ帰ったG.Iは、戦争がもたらした心の傷と戦いながら新しい生活に踏み出すために別の女性と結婚。一方、残されたベトナムの娘さんは彼の子を身ごもり、その子を生き甲斐に彼の迎えを待ちわびるものの、かつて親が決めた婚約者の従兄弟に結婚を迫られた上に息子を殺されそうになって射殺。バンコクへと流れていくのでありました。
 って、ざっくりあらすじを書くまでもなく、これは「マダム・バタフライ」の舞台替えでございます。だもんで、元ネタのピンカートンがいかがなものか? な男である以上、この話のヒロインの相手役、クリスもあんまりいい男という印象は残しづらく。一応ヒロインを本国に連れ帰る手続きは済ませており、サイゴンを離れる際には彼女を探しまわったものの再会は叶わずって描写はあるんだけども。
 「蝶々夫人」と最大に違うのは、ヒロイン、キムが身を寄せる売春宿のオーナー、エンジニアという男の存在で、狂言回しみたいな役なのにウエイトはかなり大きめ。キャスト表でもクリスより上に置かれてるし、配役も豪華。お調子者で世渡り上手。口先三寸で生きてるような男だけど、彼もフランス人とベトナム人の混血で、アメリカに渡って一山当てる夢を追っている。
 この話に出てくるキムにしてもエンジニアにしても、他の底辺の女性たちも、アメリカに行けば夢のような生活が待ってると思ってる。(と描写される)だから、アメリカへのビザはまるで天国への渡航切符のよう。でも、昨今のアメリカの状況を思えば、「それはまさに夢なのよ…」と言いたくもなったり。
 元々はイギリスで初演された作品だそうで、アメリカ人とベトナム人の悲恋物だけどアメリカどっぷりって雰囲気になってないのはそのせいか、と。二幕物で、二部の開始時には「ブイドイ」と呼ばれるアメリカ兵と現地の女性の間に生まれた子どもたちの保護や親元への引き取り活動をしている人たちのシーンがあるんだけど、一瞬協賛キャンペーンの宣伝が始まったのかと思いました。
 全体に、翻訳物につきまとうセリフ(というか、歌)の情報不足で、主要キャラクタの置かれた事情や心情が今ひとつわかりにくく、ヒロインとヒーローはかなりあっさり恋に落ちちゃうし、気持ちがついていけない部分大。元歌の対訳詩が読みたくなります。原盤ではあの人たち、どのくらい何を訴えてたんだろう、と。
 結末は。うーむ。後味のよくない終わり方だったり。あの幕切れの後にカーテンコールでキャストがにこやかに出てこられると、ちょい違和感があります。あと、連休中日のせいか、意外と子ども連れのお客さんがいたんだけど、のっけから売春宿でビキニ姿のお姐さんたちがG.Iの皆さんとえろっちいダンスをしたりしますんで、気まずくなったりしなかったかと。他にも、全体に女性の肌露出が多い芝居で、奥さんとか彼女とかに誘われて内心「ミュージカルかよー」と気乗りしないまま会場に来たメンズは、ライトな目の保養ができてややお得だったかも。

 舞台は、あの狭い(と言っても、器としてはかなり広めで恵まれた環境だと思うんだけど)スペースで、よくまああれだけいろんなシーンを切り替えで見せていくなあと、その点は見応えありました。特に目玉のサイゴン陥落時の人々の喧噪、基地の柵越しに引き裂かれるヒロインとG.Iというシーンの場面切り替え。これはすごいです。噂のヘリは、まあ、ハリボテだけども。(でも、舞台に出てこられると迫力)「あのタイプのヘリには、あんなに人は乗れないけどね」と相方に突っ込まれていたけども。
 話が話だけに、人に勧められるかというとちょい考える。後味よくハッピーに会場を出たい方は別の演目を選ばれる方がよいかと思います。

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2007.05.25

人生初の(もしかしたら最後の)

 さる筋から「チケット、お安くなりますよ」と声をかけられ、いったい何がどうしたのか、はずみでタカラヅカなんか見に行ってしまいました
 いやー、我ながらあり得ん。私とは生涯相容れない世界だと思っていたのに。気の迷いにもほどがある。
 知らない世界を覗くのが好きな友人にメールしたところ、「見たことないから見たいです!!」と力強いお返事をいただき、二人して水と油の世界に突入。仕事が終る時間の関係で開演して15分ばかり経ってから会場入りしたので、最初は話のいきさつがイマイチわからない。もっとも、こうなることはわかっていたから、事前に演目のあらすじは押さえておいた。「ダル・レークの恋」という今回の演目は初演が1959年だそう。ええーっ、私ですら生まれる前じゃん!! インドの貴族界とかフランスで無頼漢を気取る若き日のヒーローとか、昔の乙女がイメージしやすい西洋とオリエンタルの異国が舞台なのはそのせい? 1ドルが360円だった時代、こういう設定は魅力的だったんだろうなあと勝手に想像。
 遅れてきた私どもの前で、騎兵大尉ラッチマンとインド貴族の姫君カマラが舞踏会で楽しげに踊り、ばあちゃんの言いつけでカマラが心ならずもラッチマンを振り、という場面が繰り広げられます。会場が狭いので、背景の切り替えが大わらわ。豪華とは言いがたいセットですが、手際よくシーンが変わっていくのはさすがと言いますか。
 しかし。タカラヅカ初体験のわたくし、びっくりしたのは正体がばれた(?)ラッチマンが自分と姫との関係を口外しない代わりに、姫との一夜を所望するというくだりです。ええっ、ヅカの話でもそんなもにゃもにゃなシーンがありなの?(ほんと無知なんで、すみません)いや、なんか、清廉潔白でプラトニック系なのかと思っていたもので…。
 しかもその後、舞台のど真ん中に丸いベッドが出現! ええっ、そんな直截なものが出てきていいの? 暗転した後翌朝じゃなくていいの? ええーっと友人と顔を見合わせる私の前で、ラッチマンさんとカマラさんが愛のダンスをかんのー的に踊られます。ちゅーするとかベッドに二人して倒れ込むとか、なかなかヤバげな絵があります。いいのかよ、タカラヅカ。制服の観客もいるぞ。それに、せっかくの(?)えろいシーンのまっただ中で、姫のサリーをくるくるくるっと脱がせて、姫もくるくるくるっと回って見せるという振り付けをするのはどーかと思うぞ。時代劇で悪代官が町娘の着物の帯をくるくるくるっとやるみたいじゃないか。
 その後も二人の間にはいろいろあって、うまくいきそうな気配もあって、ああやっぱハッピーエンドで終るのかー。と思っていたら。
 終らない。身分の違いの問題も誤解も解けたはずなのに、別れを告げて旅立っていくラッチマン。泣き崩れるお姫様。そして、パリの街角をラッチマンの姿を求めて訪ね歩くお姫様。二人はすれ違ったまま、突然レビューシーンに突入してしまいました。あ。あの。この話の結末は「もしかしたら、二人はまた巡り合うかもしれないね」というニュアンスが漂った悲恋と解釈していいのでしょうか? 気持ちの落とし所が見つからぬまま、トップの方々がゴージャスな衣装で歌い踊る。これでいいのか、これで。心の中に疑問符が飛び交ったまま、華やかに舞台の幕が降りたのでした。
 なんて書くと、全然おもしろくなかったような、トンデモなお芝居だったような印象になっちゃうでしょうが、我ながら不思議なことにけっこうおもしろかったです。どーしたってラブロマンスで私の得意範疇じゃないから、お話に入れ込むのは端から無理。でも、歌と踊りと華やかな衣装、縁の下で背景を変え早業の衣装替えを手伝い、と奮闘する裏方の仕事、などなどの「お代をいただいたからには三時間(途中休憩を含め、三時間あった。そりゃ、六時に開演しないと遠方の人が困るだろう)楽しませまっせ!」という心意気みたいなもんに巻き込まれると、それはそれですげーなーと楽しめてしまうのです。さすが歴史ある乙女の娯楽。ここまでもてなしてもらったら、そりゃーハマる人も出るってものでしょう。
 なんて言えるのも、私が年取ったからかもなあ。あと10才若かったら、やっぱり「どぅわぁあー。甘甘ー」と口から砂糖流してたかもです。
 いずれにせよ、なかなかおもしろい体験でした。ハマりはしなかったけど。

 それにしても、「実は今週タカラヅカを見に行くことになってね」と話した人の大半が「どーする? ハマったら」と言うのはどーしてなんでしょうね? ハマったら困るものなんでしょうか? それとも、私がハマったらおもしれーという意味なんでしょうか。

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2004.12.10

朴(王路)美さんが演るのなら!

 見たいー。ってーか、聞きたいー>朗読劇「電車男」
 電車の書き込みを朴さんの声が読むのは、初々しいカンジできっとうっとり。<どうしたってショタだよな、自分。
 匿名性ゆえに思い入れたり盛り上がれたりできた話だから、芝居にするとしても声までが限界っていうか妥当かなと。

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2004.03.20

感情移入できないー

 劇団四季の「オペラ座の怪人」を見てきました。いろいろあって、ミュージカル苦手なくせにエラソーなことに二回目です。しかも、一回目は日本語ではない状態で見ました。なんといいましょうか。タモリ体質とでも言うのか、歌で切々と恋心とか訴えられたりすると、「ごめんよう、恥ずかしくてたまらないんだよう」と泣きながら逃げ帰ってしまうような性質なんです。英語だったら、細かな歌詞がわからないから、恥ずかしさもかなり減で見られると思いまして。<だったら、そもそもなぜ見に行くんだよ。
 その予感は見事に当たってまして、日本語ばっちりの歌詞で見ると「うわぁぁああー、こっぱずかしぇー」な感じが倍増です。なんたって、「天才的な頭脳を持ち、オペラ座内を自由に暗躍する怪人」とか「オペラ座に潜む怪人に魅入られた歌姫」とか「幼馴染の青年子爵」とか出て来るわけで(こう書くと、江戸川乱歩ものみたいだ)、時代がかった展開になるのは当然のこと、まして恋する二人が怪人の影におびえながら互いの絆を歌い上げるのは当たり前なんですよ!そこで「どしぇー」とか言うくらいなら、見に来ちゃダメなのよ!
 と、その辺については「己が悪い」という自覚はあるんですが。
 前回の英語版を見たときからうっすらわかってはいたんだけど、わたくし、この話にはどうにも感情移入できないー。まずヒロインが歌の勉強では世話になった、亡くなった父親の面影でも重ねていたかに見える怪人を疎むようになった過程が唐突で、「見た目が醜悪だったから手のひら返すんかい」という印象になるし(オペラ座の人々を脅かし、殺人までしたからというのもあるかもしらんが)、怪人も不幸ではあるけど、例によって愛情の強要はしても仕方がないよって感じてしまうし、ヒロインの相手役のラウル子爵だっけか?も、イイ人だけど思慮が浅めかな?(クライマックスで怪人にいきなり首にロープかけられるという展開はどうか?)って思うし、お互い様やんけ!とか突っ込んでしまうんですわ。今ひとつ物語りに共感できないままに幕、という感じで。
 ミュージカルなんで、ドラマ部分よりも歌や豪華で凝った作りの美術を楽しむべきなんじゃないかって(実際、舞台装置はすごいんだ!)気もするけど、なまじ日本語で流れがわかってしまうから、見過ごしにできない了見の狭い私です。きっと宝塚なんかは一生見られないであろう。

 観劇が終わってから、キャナルのF.O.B.coopのカフェで妹のなっとさんとお茶。おしゃれなカフェでシフォンケーキを食べながら、ばりばりヲタな話をし続ける私は肝の太い女。

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2004.01.29

これ、見に行かなくっちゃだわ!

 うっかり忘れそうなんで、メモ。IMSである「ハイパープラネタリウム『MEGASTAR-II☆大平貴之』」。手作りは手作りでも個人で開発されたプラネタリウムですよー。書評で本の紹介を見て、読みたいなあと思ってたのを忘れてた。ご本人の解説つきの日は無理そうだけど、実際に投影されたものが見てみたい。

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2004.01.11

生まれついて持っている感性

 ギンギラはお昼の公演にしたんで、終わってもまだ夕方には時間がある。ので、前からチェックしていた五味太郎さんの原画とビデオ展を見に行く。天神って近いけどなかなか仕事帰りに出る気になれないのよね。特に夏と冬は。<天候にヘタれ。
 五味さんはたくさんの絵本を出してるから、名前は知らなくても作品は見たことあるって人が結構多いんじゃないか。そして一度憶えたらすぐにわかる色使いをされる。シンプルで、派手で地味で、子どもはもちろん好きだけど大人も好みそうな色。
 ビデオをじっくり見てる時間はなかったけど、原画を見られただけでも満足。きれいな発色。見るだけで楽しくなっちゃう色の選び方。次のページがめくりたくなる、動きのある画面。
 去年だったか「情熱大陸」で特集してたときに見た仕事の速さにはほんとに驚いた。そうでなきゃ、あんなにたくさんの作品を発表できないよなあ。だけど、あの速さで仕事ができて、しかも「へえっ」と言わされる着想の幅広さを実践できるなんて、この世にはやはり才能というものがあるのだとしみじみ思い知らされる。
 狭い会場の出口のほうでは、額に入った絵や既刊の絵本やビデオ、カレンダーやポストカードが売られていた。五味さんの絵なら家において楽しそうだなあ。一枚五万円を即決できる懐具合ではないので、素直にポストカードを数枚選んで、買って帰りました。

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