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2008年11月

小話/嵐の前、嵐の後

 久々に小話です。そして、例によって「小」になってない。
 ねつ造25話以降の話なのに、色気ゼロです。いろいろと無意味にその後のことを想定しつつ、しかし話は病室のシェリルとクランの会話のみ。
 なんやねん、この話。と我ながら思います。こんなんでもいいという方、読んでいただけるとうれしゅうございます。

「嵐の前、嵐の後」(1)
「嵐の前、嵐の後」(2)
「嵐の前、嵐の後」(3)

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中立ってのはむずかしい

 時間が余ってるというわけでもないのに、ふと思い立ってランカスキーの人のサイトを覗いたりしてみてました。以前の感想でも書きましたが、個人的に後半のランカの描写ってちょい不足してない? という気持ちがあったもので。制作サイドのインタビューで「ランカはバジュラと通じ合う気持ちがあるから、行動原理が他のキャラと違う。その分、視聴者に共感しにくいような描写に意図的にしてある」というような内容があると聞きましたけど、正直「はあ?」と思ったのが本音です。(原文を直接読んだわけじゃないので、意味の取り違いがあるかも、です)描いてあるものに共感しにくい、というのと描写が足りてない、というのは別なんじゃなかろか? におわせて、後は見る側の解釈に任せるというのと、端からないというのはまた違う話じゃないのか? それともちゃんとにおわせてあるのに、私が鈍感で気づいてないだけなの?
 とか、釈然としない気持ちになったわけです。
 後半の自分の視点がシェリル寄りになってるのは自覚してたので、無意識に見落としたり解釈によじれが出たりしてるのかもしれないとも思ったのです。そこで、私とは違う視点で本編を見ているはずのランカスキーの方の意見を聞いてみようかと。
 でまあ、わかったのは、人は自分の見たいようにしかものを見ないんだな(爆)ってことでした。もちろん、私も含めて。
 立場の違うよそさまの感想とか解釈を読んで、なるほど、そういう見方もあるのか…と感じたこともたくさんあります。が、それより多かったのは「えっ、そこってそう解釈するの?」「いや、それは深読みというより希望的観測なのでは…」「そこよりあっちの方がシーン的に意味が大きいんじゃ」「あらら、あのシーンはスルーですか、そうですか」というようなとまどい、っちゅーか、作品に対する着眼点の違いの実感でして。当然と言えば当然だろうけど(向こう様が私の書いた感想を読めば、同じように違和感を感じるはずだ)、同じもの見てこれほどとは! と改めて人の意識の多様性というか、脳フィルターの強固さを思い知りました。
 いやー、人の間には誤解があるというのが「マクロスF」のテーマの一つだそうですが、作品そのものがすでに誤解というか、多様な解釈というか、そういうものを体現してるようですわ。ただ、極めて個人的なご意見だけど、演出とか脚本とかがもっとしっかりしてたら、多少の振り幅もありつつ、しかし、まあまあまとまったところに解釈が落ち着くんじゃないかって気がするんですが。このばらけっぷりも制作サイドからすれば予想の範囲内ってとこなんですかねえ…。
 ただいま暇を見つけてぼちぼち見直し中なので、もしかしたらランカスキーの方のご意見を読んだことでまた違う見方ができるかも、だし、そうでもないかも…。
 特定のキャラに入れ込むと、作品を客観的に見るのはものすごくむずかしくなるのだなあと、しみじみ思いました。そのおかげで作品そのものの出来には目がつぶれたりもするんだけども。

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音盤いろいろ

 気がつくと11月も折り返しに入っていて、となると「娘たま♀」の発売も間近と言うことになります。
 が。収録曲を見て「ううむ」とうなっている方も多いんじゃないでしょうか。手持ちのボーカル音源全投入って感じの内容で盛りだくさんちゃー盛りだくさんだけど、「アルバム」としての流れやまとまりが欲しい身としては、この寄せ集め感は今イチ気持ちを惹かれないというか。ボーカル音源資料集という感じで。
 どっちかというと、年明けの坂本真綾さんの久々フルフルバムにセルフカヴァーの「蒼のエーテル」が入ってるとか、May'nさんがいよいよ出すミニアルバムに菅野さんが楽曲を提供してるとか、そっちの方に気を引かれてます。坂本さんのアルバムは、「蒼のエーテル」なくてもデフォルトでチェックなんだけど。
 結局、なんだかんだ言っても菅野さんの追っかけっぽいのな>自分。
 というほど根性も無く、ゆるゆる聞いてる身の上ですが。
 いずれにしても劇場版でまたまた新曲が出てきそうだし、音楽系は増殖の一途をたどりそうなので、しばらく様子を見てもいいかなという気になってきてます。全部についていくほどサイフも潤沢じゃないしね!<ギャラクシーツアーに行ったのがちょー響いている。

 ところで劇場版! はまだ情報をちゃんと露出できる状況にはないようですが、最終回を終えての監督インタビューなどでちょこちょこ触れられてはいる模様。一応TV版に準じた「愛・おぼ」形式と言われはしたものの、「愛・おぼ」もTV版とは見た印象がかなり違うのでFもそんな仕上がりになるのだろうと期待よりも不安が広がっていやんですね。パラレルな感じになるかも、とか、結末はまた変わるかも、とか、三角関係に今度こそ何らかのアンサーが? とか聞くたびに、ワクワク感より悩みが深まります。なぜ何の憂いもなく「劇場版楽しみですっ!」と言えないのだろう…(涙)。
 曲とメカは、素直に期待してるんだけど、他のところがなあ…。
 いくつか目にした監督のインタビューについてここんとこだけは何度も言いますが、社会の制度と人の感情は別のものだからね?>一夫多妻制発言。
 一妻多夫制でもいいが、それは社会のシステム。経済とか相互補助の形式としての男女の組み合わせ方の話であって、そういう社会制度の集落であっても当事者の好き嫌いの感情が矛盾なく腑に落ちてるわけじゃないだろと。(相手の心移りなどに悩む気持ちが書き残された文書はかなり昔のものからあるし)むしろ結婚制度と恋愛感情は別と割り切る文化だってあるわけで、そこのところを混同して語られてもなー。アザラシだっけ? オットセイだっけ? ハーレムのメスはボスの目を盗んで他のオスの子を作ったりするそうだし。
 ちょっといいな、と思うタイプの違う異性をどれもこれも手元に置きたいという欲は、男女を問わずあるだろうけど、その欲求と一と多の結婚制度を一緒に語ってはいかんだろ。そもそもそれができるのはごく一部の力とか才能とか財力とか、その「社会」が認める何かを持ってる個体だけで残りはあぶれて暮らすわけで、概ねの凡人はあぶれる側です。(アルトは凡人じゃないんだろうが)
 あと、真剣に相手をするとなると、複数人を対象にするのはすごいしんどいです。複数相手にできるのは、やっぱ一つ一つに対する思い入れが薄いからじゃねえかと思ったり。もしくは人間関係をさばく能力に格段に優れてるタイプとか。
 なので、三角関係を収拾しないで終わらせた理由として一夫多妻制を上げるのはやめてほしいなーと。何の説得力も無いから。
 むしろ「決着させない方が後々の想像が膨らんでいいと思った」とか「戦闘とか設定とかがおもしろくて作ってたんで、実は恋愛はどーでもよかった」とか言ってくれた方が私は納得できるんだがなあ。

 時折巡回しているサイトも次第に更新が間遠になってきてるようで(と人に言えるのか、オレ、でもあるんだけど)、(たぶん)来年公開の劇場版までファン活動持つかしら? と心配になったりしてるわけですが、それは公式サイドも気にしてるのか、今度は角川が「マクロスエース」なんてマンガ雑誌を出すそうですね。ブドーカンで席に置いたあったチラシの正体はコレか。「ガンダムエース」が安定雑誌に成長したから角川は次の成長株を探してるんだろうけど、マクロスでどこまで行けるんだろうなあ。
 マクロス・クロニクルとこの雑誌で、劇場版まで人気を引っ張れたものだか、遠くからぼんやり見ていようと思います。

 またいくつか拍手をいただいてました。ありがとうございます。
 一話以降の録画してなかったころの分もレンタルで見直したりしてるので、感想を追加しようかなと思ってます。例によって色気ゼロ・ラブ度低の小話もいくつか妄想中です。今後とも地味いわりにくどいスタイルでやっていきますので、気が向いたら遊びに来てくださいませ。

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小話/Paper plane

 アルトはしばらく書かないと言ったのにー。
 ここのところ「小」に偽りがある状態だったので、今回は本気で「小」に押さえました。
 アルトのモノローグ。色気ゼロ。
 ノヴェライズを読んで、私の中のアルト観を整理してみただけとも言う。ので、「話」と言えるのかというと悩。       

 「Paper plane

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椅子の堅さは噛みしめられませんでした

Sky_1105

空に線が入っていると、なんとなくフロンティアっぽくないですか。<気のせい

 at 武道館。
 なぜならば、三時間立ちっぱなしだったからです。始まるなり前の席の男性二人が立ち上がりまして。終わるまでそうで。二階南東ブロックでなかなか見通しのいい席だったんですが、ちびっこなもので男性の後ろで座ると何も見えなくなります。
 あと、終わってから妹とご飯食べに行ったんですが、車のドアを開けるときに手がイタタ。なんと三時間手拍子した結果、びみょーに手が腫れていた模様。<そんなにやったのか! なるほど、あの光る棒(<サイリウムと言え)は拍手以外でステージにノリを伝えられるいい道具なんですね。と納得。

 そんなわけで、行ってまいりました>「ギャラクシーツアー ファイナル」。グッズ販売開始の午後二時時点ですでに二千人(と、行列整理のお兄さん談)の買い物行列ができてるというすさまじい状態で、わたくし、パンレットよりも昼食をとることを選んでそそくさと退散しましたけど、開場まで並んでた方も結構いらしたようです。ご飯食べて六時にもう一度来たとき、だいぶ減ったとはいえまだグッズ行列が続いてましたし。仕事引けてやっと間に合ったという人は、パンフ買うのたいへんだったろうなあ。
 武道館の二階席って意外と傾斜深くて、おかげでステージまでよく見えました。娘々サービスシートもぎっちり人が詰まって空きもほとんどないように見え、ということは本当に一万人お客さんが来てるんだ! という驚き。夏に久石譲がジブリもののコンサートをやったのをNHKで見ましたが、娘々の位置にはコーラスを入れてたようなので、席数はギャラクシーツアーの方が多かったんじゃないかと。(そして、ステージが娘々の方まで伸ばしてあり、May'nさんも中島さんも意識的にかそちらの方まで頻繁に足を運んでいたので、お二人を見たいという方には、ほんと、あの席が「サービス」シートだったような)
 開始はワイルダー艦長の呼びかけで観客全員で「私の歌を聞けえっ」とか「抱きしめて! 銀河のはちぇまれぇっ」とか唱和させられまして、この年で「キラっ☆」とかできんわ…と内心萎縮していた年寄りも「これはぶっちぎってノルしかないわ」と腹をくくりました(笑)。会場が一体化したところで「Frontier 2059」の演奏が始まり、続いて歌姫二人が登場。「ダイヤモンド・クレバス」のデュエットからボーカルメドレーに突入して、会場はいきなり総立ちのノリノリ状態に陥りました。こうなると、私のようなだるだる年寄りも立たざるを得ず、というか、冷静でいてもつまんねえし。ええ、「おいしいにゃん」も「もってっけー」も「キラっ☆」もやってきましたよ。リアル知り合いには見せられないわ。
 思ったよりもバンドの音が厚くて、劇伴の演奏も素晴らしかったです。てゆーか、私はせっかくならそっちも堪能したいなあという気持ちが結構ありましたから、あの編成はたいへんうれしゅうございました。「Frontier 2059」の他には「The Target」「追憶のトランペット」「Prologue F」「High School Life」をやったかな。劇伴ではお気に入りの「The Target」と「Prologue F」を生で聞けて、わたくし、非常に満足でございます。もっとやってくれてもよかったくらい。
 歌はもちろん、言わずもがなです。ボーカル曲は当然全曲網羅。デュエットしてみたり、アカペラアレンジにしたり、いろんなバージョンが披露されました。いくら歌多めのアニメとはいえ、三時間歌だけで持たせるほどの曲目はないわけだし(^^;)。世間では生で聞いたらCDと全然違う、意外と声量足りないみたいな歌手の方がいたりするわけですが、May'nさんはもちろん、中島さんも最後まで声が伸びる伸びる。二人でやってるとはいえ、三時間、しかも締めがピアノソロの伴奏でしみじみと歌う「ダイヤモンド・クレバス」なんて声がぐだぐだだったら聞くのがちと悲しくなる演目で、それでも聞きごたえのある状態で終わったんですから、お二人とも本当にすごい。特に、中島さんは声の深みといい伸びといい、僭越ながら本当に上手になられたと思います。
 菅野よう子さんはバンドの最前列、ステージの中央にピアノを据えて、ご自身で弾きパンドを指揮して大活躍されてたんですが、途中、アコーディオンを持ってセリから登場、ステージを練り歩いて演奏なんてことまでされるサービスも。マクロスを見始めた大きな理由の一つが菅野さんの音楽だったので、音楽そのもの、演出、そしてご本人のノリっぷりまで見て聞いて、ができて、すごくお得な気分です。
 実は坂本真綾さんが出るって話はネットでちらっと拾っていたので「いつ出るんだろう…」とどきどき待ってたんですが、20時半のいったん締め時点まで登場されずじまい。「ガセ…。じゃないよなー。だって『トライアングラー』主題歌だし」と思ってたらアンコール第一部トッブで登場。最終回バージョンもいいですが、やっぱオリジナルが聞けるってありがたいです。このコンサート、中島さんとか衣装がかわいい系でさすがアイドル役だと思ってたんですが、坂本さんのもえらくかわいい。ふりつけもかわいい。サプライズゲストだってこともあり、登場からうおぉおっと会場が沸いて、すごい盛り上がりでした。坂本さん、これ一曲で帰られましたけど、ランシェの「アイモ」もあったらよかったのになー、と贅沢を思ったり。
 その後、考えてみればこのステージで初めて「ライオン」が真っ当にフルで歌われたりして、さらにMay'nさんピンの「射手座」もこの段でやっとやったりして、アンコールとは思えないボリューム。
 さらにいったん締まった後、小林さんの次回予告風の振りの後に最後のアンコール。菅野さんのピアノソロで「ダイヤモンド・クレバス」、ボーカルのお二人が退場された後、さらに菅野さんがピアノソロで「キラキラ」を演奏されて、本当にコンサートは幕となりました。三時間、たっぷりマクロスの音楽漬けです。堪能しました。
 横浜や大阪でもほとんどMCなしの進行だったと聞いていたので、途中でアルト・ミシェル・ボビーの声優さんが出てきて娘々歌って踊ってくれたり、May'nさんと中島さんのコンサートを終えるにあたってのあいさつがあったり、本編スタッフが突然ステージに現れてボーカル二人にお花を贈ったり、という音楽以外の部分もがんばって入れてくださってたのもよかったかなあと。スクリーンに本編の映像を映して、それを背景に生歌で思い入れのある曲が聴けるだけでも十分に贅沢な体験だというのに。
 そして、会場出たらまだ物販に人が並び直しているという(^^;)。皆さん、どんだけ体力があるんだ。あれから買い物してたら帰るの何時になったんだか。

 ステージ周りをカメラクルーが走り回ってたので、もしかするとDVDとか出るのかなと思ったり。出たら記念に買ってしまうかもしれぬ。

Budokan_1105

 タイトスケジュールで出かけたので、疲れきったまま週末に突入し、週が開けてもなんとなくだれたままです。いかんなー。そろそろ復活しなければ…。
 思えば東京行きの最初から終わりまで、私のiPodはマクロスFのプレイリストをシャッフルし続けてました(笑)。

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「クロース・エンカウンター」ふたたび。

 週中に二日休まねばならぬしわ寄せとか,急激に秋化したために衣替えを急がねば,とか、生活がアレでヲタ的なことがろくにできない日々なんですが,忘れる前に「クロース・エンカウンター」のヤック・デカルチャーバジョンの感想とか。

 ああ、最終回のアルトのあれってこのバージョンの冒頭シーンから来てるのか。
 と、DVD見て初めてわかった。作ってる方は最早ヤック・デカルチャーバージョンが一話の基準になってるのかもしれないけど,ネットの環境が今イチで無料ネット配信分が絵飛び音飛びで見る気になれなかった身としては、今になって「そーだったんだー」ですよ。見てない人にはあれやった効果が半減以下なので配慮してください。<DVDも出てたから,好きならちゃんと予習復習しとけということなのでは。

 尺が長いから当たり前ですが,キャラの書き込みがわかりやすい。特にアルトの屈折した心象は、ヤックデカルチャーバージョンの方がよく伝わる。もっとも、見てるこっちも物語の全容がわかってしまってるから振り返ってみればこういうことだったのか、と思えるわけで、初見でどう感じたかは今となってはわかんない。
 EXギアをつけたまま紙飛行機が折れるくらいパイロットしての素質があり、人気沸騰のアイドルになんか全く興味がなく、どうやら家業に反発があり、フロンティアという閉鎖空間に暮らすことを息苦しく思っていて、それは憧れている空が偽物でしかないことへのいらだちとなって現れている。一話分で描写される主人公の情報としては必要十分。初めて見たときは現状に不満があるヒネた子なんだな、という印象だったけど、もうちょっと複雑な気持ちだったんだな、と今にして思ったり。
 シェリルについても、冒頭のフロンティアの外観を見て歓声を上げる女の子っぽいシーンがあるのとないのとでは印象が違う気がする。TV放送版では高慢な女王様だけど、それは実力とプロ根性の裏付けがあってのこと、というシンガー、シェリル・ノームの面が強く打ち出されてる感じがする。あのシーンは、フロンティアが他の移民船団とは違う理念で作られてるんだという説明の意味でも結構大事な気がするけど、尺を考えたら外す候補にされるのもしかたないか。
 二人に比べるとランカのシーンはほとんど落ちてないせいか、これ見て印象が変わることはなかったなあ。とゆーか、このころと後半ではランカのキャラ設定がずれてきてるような気がしますよ…。無邪気で元気でちょっと天然。感情表現がはっきりしてて、一生懸命だけどそれが結果に結びついてなかったり。と書くとそれなりに後半と同じか。でも、性格がうまく美点として伝わらない描写になっちゃってるというか。美点と欠点は同じものの裏表だったりするのでランカも描き方次第だったと思うんだけど、なんかこー。後半は雑だったかなと。

 戦闘シーンは絶対的にヤックデカルチャーバージョンがいい。VF171? 統合軍の発進シーンとか描写が細かくてワクワクします。バジュラがオズマとギリアムの追撃を逃れてアイランド1に侵入する経緯もわかりやすいし。CGモデルが制作しながらどんどんブロウアップされてたんだということもよくわかりました。このころは質感がまだツルテカでCGくささが強い。モデルによっては背景から浮いてる感があったし。最終回のメカ乱れ打ちに至るまでのCG制作スタッフのがんばりを思うと涙です。

 やっぱり当初予定ではキャラ配置はアルトとランカがメインで、シェリルは二人にとっての触媒という位置づけだったのかなあと感じました。シェリルと関わることで、アルトもランカもくすぶっていた思いの方向へ歩き出す。あと、この後の「ミス・マクロス」までの流れで見ると、確かに「トゥルー・ビギン」で言っていた通り「ランカを守ろう」と思ったことがアルトにとってパイロットになって戦おうという決断につながってる。(ので、あの言葉は一面真実ではあると)この時点では、シェリルはアルトにとって突然ふってきた気まぐれな爆弾で、だけどプロの歌手としての実力と肝っ玉は侮れないと評価しているまだまだ外側の存在でしかない。コークスクリューできなくて腐ってたのを「やってみるか」と吹っ切れるきっかけを作ったのがどうもランカらしいという描写とか、日常レベルの共感度の高さは明らかにランカ強めになってる。
 それがなんで、物語でのシェリルのウエイトがだんだん高くなっていったんだか。動かしてみると想像以上におもしろいキャラだったのかもしれん。

 ぶっちゃけを言うと初めて一話を見たとき、シェリルはヤな女分が強くてとっつきにくいなと思ったし、ランカは中島さんの演技がこー。つらいなーという印象が強くて、キャラとしてどうこうとは感じなかった。主人公がパイロットになっていく導入ポイントとしてちゃんと機能してるな、くらいのポジションで。
 アルトの造形はうまいと思ったけど。「女の子みたいにきれい」って、思春期でマッチョい男はちょっと怖いと思ってる年頃の女の子がぱっと好きになるには説得力あるなあと。(ランカはオズマみたいな鉄板男くさいのと暮らしてるから免疫あるだろうけど、だからこそ反対のタイプに惹かれるとこはあるだろう)そんなのが命助けてくれたら、そりゃーどきどき心拍数の恋効果絶大ですよ。よくつき合ってみないとよさがわからない、みたいな主人公って、脚本と演出が下手を打つと最後まで視聴者にもよさがわからなかったりするし。「ラブストーリー」と銘打ちつつ、でも戦闘もちゃんとやっていきますよな話では、恋愛の細々した描写はできんだろうし、だったら設定とビジュアルで「この男ならモテるだろう」という説得力を出すのも手だなあって。
 アルトもまあ。パイロットや役者としての資質はともかく、恋愛の相手と考えるとナニだな、と思わせてしまった点では脚本と演出が下手を打ってしまった典型になってしまいましたが。

 と、懐かしい気持ちで鑑賞しました。このころはまだ、作品の未来に夢が持てたなあ(笑)。

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小話/病院にて

 だんだん「小」ではなくなっている小話。書いていたらえらく長くなったので,3ページに分けてみたり。
 「ダイヤモンド・クレバス」から「蒼のエーテル」あたりに挟まる感じの話ですが,アルトがシェリルを迎えに行ったりする話ではありません。「蒼のエーテル」見て,「なんで早乙女の家に戻ってるんだろう」と思ったんで妄想してみました。

 シェリル好きとしてはナナメ視点の話ばかり書いてる気がしますが,私にはこういうのしか書けないんです(涙)。

 

「病院にて」(1)

 

「病院にて」(2)

 

「病院にて」(3)

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