マクロスF雑感

さびしい子どもたち

 のろのろ暮らしているので、ようやくノヴェラの三巻を手に入れ斜め読みしています。田舎は困るわー。とっとと見切ってamazonに頼めばよかった。
 さておき、斜め読んでるとこなんで詳細にはまだ手をつけてませんが、今回最初に「ああ」と思ったのはナナセの過去についての膨らましの部分でした。
 あの設定が公式か小説の書き手のねつ造かはともかく、やっぱりTVで描かれてるだけのナナセの情報じゃ、小説という詳細が無いとつらい媒体では「松浦ナナセ」というキャラをポジショニングできなかったんだなあと思ったわけです。
 キャラもののようでいて、実はキャラの描写が結構薄い「マクロスF」ですが、中でも出番の割に薄々感が強かったのがナナセでした。まず最初のころから、なんであんなにランカが好きなんだか、さっぱりわからない。好きというか、友情というか、ナナセのランカに対する好意の示し方って崇拝に近い。対等な感じがしないんです。学校も違う、バイト先での知り合いっぽいけど、どう見たってランカよりナナセの方がバイト先での仕事ぶりも堅実そうげ、ナナセがランカの面倒をみてるっぽいのに、ナナセはランカより下に自分を位置づけてる感じがする。この関係性がまるでわかんなかったのです。
 この時点でランカが何らかのカリスマ性をナナセに限らず発揮してるシーンがあれば、あるいはまだ世間に知られぬランカの才能を強く印象づける場面があれば、ナナセが「そこ」に心酔してるのだと納得もできる。でも、実際には最初の数話に出てくるランカは天真爛漫・不器用・ちょっと引っ込み思案な普通の娘です。ナナセ「だけが」知っている何かがあると考えてもいいけど、そこまで妄想するほどのネタは振られてない。この二人の関係性がまったくもって「?」なんです。
 てゆーか、ランカはナナセが好きなのか? 友だちと思ってるのかも怪しげな気がします。ナナセがあれほど熱意を持ってランカと関わろうとしなかったら、ランカはナナセと長い時間を供にしようと思ったんだろうか? ランカ「から」ナナセに働きかけるシーンって、実はほとんどなかったりしませんか?
 二人の関係性にろくな深さも与えられないまま物語は進み、終盤になってケガして意識のないナナセの枕元に、あの宗教画のようなランカの絵が出現します。なんであんな絵にしたのか、制作側にはそれなりの理由があるんでしょうが、ぶっちゃけ私はあの絵を見てドン引きでした。だって、神様か天使かみたいな描き方してるってことは、ナナセはランカをバカやったり失敗したりくだらないことを共有しあう「友だち」だと思ってるわけじゃないってことでしょ? 生身を持った存在以外のものだと認識してるってことです。
 本人そのものではない、別の「何か」を相手に仮託してるってことなんです。それってすごく悲しくないですか。

 小説のあのナナセ設定が適切かどうかはともかく、少なくともああいう事情があればナナセが「ああいう子」であることの手っ取り早い説明にはなります。
 容姿に恵まれていながら、自分への評価が低いこと。人目を避けるようなところがあるわけ。友好関係が狭そうで、だけどアルトたち数少ない男子とは打ち解けられる理由。性的に未熟で無垢な雰囲気のある、オズマの無敵の愛情を受けて育ったランカを理想の投影先として崇拝するのもむべなるかなです。
 でも、結局ナナセが見ていたのは「ランカ・リー」ではない。望んでも得られない自分の理想を具現していると勝手に解釈している、現実には存在しない少女なんです。
 この設定を導入したところで、ナナセとランカの関係の悲しさは全然解消されない。

 こういう、人間どうしの関係性の薄さはナナセとランカに限ったものじゃないんですけども。
 ナナセが好きだというルカもまた、ナナセのどこが、どうして好きなのかが最後までさっぱりわかりませんでした。もしかしたらルカも、ナナセ自身ではない何かをナナセに投影してるだけなのかもしれないけど。ランカに理想を投影しているナナセが、ルカに理想を投影されてるとしたら、なんとも悲しいメリーゴーランドです。
 みんないったい、誰を見てるの?

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篤姫人気

 えねっちけーでやってたPerfumeのライブを見ていたら、場所が武道館で懐かしくなりました。<何様。そうそう、ギャラクシーツアーのときもこんなふうに花道があって、May'nさんや中島さんが熱唱しながら歩いてて、とか、あー、この客席の傾斜がー、とか、あの入り口の看板がシェリルとランカだったのよねー、とか、一ヶ月ちょい前のことなのにすでに思い出化しててちょっと寂しい。思えば夏に久石譲がやったジブリものの武道館コンサートを見たときは「武道館ってこんなとこなんだ、うわー」「席、どの辺なんだろう」とか思ったもんでした。<ちゃんと演奏聞こうよ。
 って、開催日をみたら! なんだ、これ、ギャラクシーツアーの二日くらい後? まあ、アイドルのコンサートっちゅー点では同じカテゴリと言えるけど(言えるのか?)、二日違いでかなり雰囲気違うなあ。<あまりにおおざっぱな感慨。
 いや、Perfumeのライブも楽しかったですよ。前から思ってましたが、なんかすごい独特ですよね、この子たち。下積みも長かったそうだし、今極端にブレイクしすぎないで、息長く売れたらいいですね。

 ところでなんでマクロスネタのブログでタイトル篤姫なのよ、って感じですが。
 別にNHKつながりじゃありません。私は「篤姫」チラ見しかしてませんで、腰据えて見てたのは家人です。幕末ものが好きとかで。(そして、覚悟してたけど幕末テイストの薄さに苦笑していた)その、チラ見程度の人が言うのもなんですが、これ、女性に人気あるのはわかるわー、と思いました。節々で目にする篤姫、えらいかっこいい。悩んだり苦労したりもするけど、最後には自分で決断する。自分の言葉で人に言う。その結果を引き受ける。こんな生き方、そりゃ簡単にはできません。さすが、ドラマ。そう思うけど、ドラマでくらいこんなかっこいい女を見たいよね。現実はままならないし、私はそんなに腹も座ってない平凡で弱い人間だからさ。
 男が見てどう思うかはしらんけど。最近のヨワヨワ男子は、かっこよくて強い女は怖くてうざくていやかもしれんが。(それとも「頼りにしてます、お姉様」?)

 なんて思ったのは、女子の憧れのトレンドは強くてかっこいい女なのかな、とか。なんたって、シェリルがそうですもん。ランカももちろん人気ありますが、女子人気は多少シェリル多めかなとファンサイトを巡ってて感じます。(ランカはヒロイン像としてはわりとふつーな気がします。そのふつーさが、男子には安心感があるのかもしれません)シェリルは男性が造形しただけに、篤姫よりも男子に取っつきやすいツンデレっぽさがあるんだけど、でも自分で運命を切り開き、その結果を引き受ける強さを秘めているところは似てる気がする。自分のことだけじゃなく、人のことも気にかけられる視野の広さも。その上アニメだけに、美人でスタイルもよくて、ビジュアル面も完璧。そりゃもう、憧れるって。
 篤姫見てた一般人に勧められぬのが残念(笑)。
 そして、21世紀になってもドラマやアニメでなけりゃ、女性はこういう生き方ってできないのかしらとちょっと悲しくもなったり。
 いや、まあ、リアルでここまで何もかも揃った人間に生まれつくのはむずかしいけども。

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商標に偽りあり

 マクロスは歌とメカと恋愛。ちゅーか、三角関係。ということに世間様ではなっているようですが、私としては「歌とメカ」まではたいへん納得できるものの、最後の「三角関係」だけはどうしても解せません。いつのまに、なんで、そういうことになっちゃったんだか? って気分です。だって、確かに要素としては毎回入ってるけど、描き方としては深くもないしそんなに描写に時間も割いてないし、物語の味付けくらいの扱いなんじゃないですか? と特に好き好んでなくても浴びるように恋愛絡みのマンガや小説の洗礼を受けて育ってしまう昔女子としては思う。
 初代は、スタッフも若く作品そのものの出来具合もああだからその点さらっと流すとしても、プラスやゼロもそんなに「恋・愛!」って雰囲気でもないしなあ。プラスとか、むしろ男どもの暑苦しい空と飛行機へのバカっぷりだけで作ってくれた方が爽快感とか燃えとかが増量されていいんじゃないかと思ったし(しかし、となると「歌」を入れにくいのか?)、ゼロは「三角」はかなり無理無理だし恋愛の描写も「どう」と語れるほどの量もないあっさり味だし。
 別に「恋愛」なくてもいいじゃん! メカと歌で十分じゃん! それで作品としての評価が下がるわけじゃないでしょ? 無理して恋愛やるくらいならその分他の要素に割り振った方がよかないか?
 と思っていたわたくし。なので、Fもサイトトップやらポスターやらに書かれていたキャッチ「恋と友情と惑星の運命が交錯する超銀河ラブストーリー」を眉につばをつけて読んでました。(ゼロもプラスも見てはいなかったが)たぶん、これも言うほど「恋・愛!」にはならないんだろうなと。だからよくよく冷静に考えてみると、「俺の翼だ」ENDもある意味マクロスクオリティではあるなと思いはするわけですよ。
 とはいえ、番組サイトトップにあれだけでかでかと「ラブストーリー」と謳っておいて、実は主人公は最終回時点で恋愛感情は持っていませんでした、なんて公式に言われてしまうと「それって詐欺じゃん?」という気にもなりますわ。プラスは、描き方のうまい下手はあるにしても恋愛をやってはいたし、言葉に出してはっきりどうこうはなくても恋愛の結末を暗示はしてた。ゼロは、その後の二人はさておくとしてもシンとサラが反発から惹かれ合うようになるまでの描写はそこそこ丁寧にやってはいたわけで。しかし、Fはそれ以前の段階であったというんだから、なんだかなー。その点どうなるかをはらはらして見守っていた視聴者はバカみたいじゃないですか。やる気がねえなら書くなと。ツリかよ? と。あれが「恋と友情と惑星の運命が交錯する超銀河メカアクション」だったら、最終回を見終わってからのびみょーなもやっと感の一部は解消されたと思うんだけど。(それとも、男女のどっちかに恋愛感情があればいちおー「ラブストーリー」と銘打っても差し障りはないのか?)
 とか、アニメ誌などの脇情報を入れなかった私は割り切れるけど、その手の雑誌で「恋の行方は?」とかってアオリ記事をやってたとしたらそれを読んでた人は私よりさらにもやっとしてるんだろうなあ。行方も何も、片方にその気がないんじゃどこにも行きようがないじゃないの。ないものを語るって、それってどういうことなのよ、と。

 私は基本的に恋愛要素なし話の方が好みだったりして、年間読む本の大半は恋愛関係なく、登場人物におなごゼロって本もあります。だから、それほど恋愛厨ってわけじゃないと思うんですけども。向こうが「やる」というから「そうか」と乗っただけなんですけども。
 まあ、シェリル好きが高じて、彼女の気持ちに決着着かないまま宙ぶらりん、ってオチが痛々しいってのも大きいんだけども。

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中立ってのはむずかしい

 時間が余ってるというわけでもないのに、ふと思い立ってランカスキーの人のサイトを覗いたりしてみてました。以前の感想でも書きましたが、個人的に後半のランカの描写ってちょい不足してない? という気持ちがあったもので。制作サイドのインタビューで「ランカはバジュラと通じ合う気持ちがあるから、行動原理が他のキャラと違う。その分、視聴者に共感しにくいような描写に意図的にしてある」というような内容があると聞きましたけど、正直「はあ?」と思ったのが本音です。(原文を直接読んだわけじゃないので、意味の取り違いがあるかも、です)描いてあるものに共感しにくい、というのと描写が足りてない、というのは別なんじゃなかろか? におわせて、後は見る側の解釈に任せるというのと、端からないというのはまた違う話じゃないのか? それともちゃんとにおわせてあるのに、私が鈍感で気づいてないだけなの?
 とか、釈然としない気持ちになったわけです。
 後半の自分の視点がシェリル寄りになってるのは自覚してたので、無意識に見落としたり解釈によじれが出たりしてるのかもしれないとも思ったのです。そこで、私とは違う視点で本編を見ているはずのランカスキーの方の意見を聞いてみようかと。
 でまあ、わかったのは、人は自分の見たいようにしかものを見ないんだな(爆)ってことでした。もちろん、私も含めて。
 立場の違うよそさまの感想とか解釈を読んで、なるほど、そういう見方もあるのか…と感じたこともたくさんあります。が、それより多かったのは「えっ、そこってそう解釈するの?」「いや、それは深読みというより希望的観測なのでは…」「そこよりあっちの方がシーン的に意味が大きいんじゃ」「あらら、あのシーンはスルーですか、そうですか」というようなとまどい、っちゅーか、作品に対する着眼点の違いの実感でして。当然と言えば当然だろうけど(向こう様が私の書いた感想を読めば、同じように違和感を感じるはずだ)、同じもの見てこれほどとは! と改めて人の意識の多様性というか、脳フィルターの強固さを思い知りました。
 いやー、人の間には誤解があるというのが「マクロスF」のテーマの一つだそうですが、作品そのものがすでに誤解というか、多様な解釈というか、そういうものを体現してるようですわ。ただ、極めて個人的なご意見だけど、演出とか脚本とかがもっとしっかりしてたら、多少の振り幅もありつつ、しかし、まあまあまとまったところに解釈が落ち着くんじゃないかって気がするんですが。このばらけっぷりも制作サイドからすれば予想の範囲内ってとこなんですかねえ…。
 ただいま暇を見つけてぼちぼち見直し中なので、もしかしたらランカスキーの方のご意見を読んだことでまた違う見方ができるかも、だし、そうでもないかも…。
 特定のキャラに入れ込むと、作品を客観的に見るのはものすごくむずかしくなるのだなあと、しみじみ思いました。そのおかげで作品そのものの出来には目がつぶれたりもするんだけども。

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音盤いろいろ

 気がつくと11月も折り返しに入っていて、となると「娘たま♀」の発売も間近と言うことになります。
 が。収録曲を見て「ううむ」とうなっている方も多いんじゃないでしょうか。手持ちのボーカル音源全投入って感じの内容で盛りだくさんちゃー盛りだくさんだけど、「アルバム」としての流れやまとまりが欲しい身としては、この寄せ集め感は今イチ気持ちを惹かれないというか。ボーカル音源資料集という感じで。
 どっちかというと、年明けの坂本真綾さんの久々フルフルバムにセルフカヴァーの「蒼のエーテル」が入ってるとか、May'nさんがいよいよ出すミニアルバムに菅野さんが楽曲を提供してるとか、そっちの方に気を引かれてます。坂本さんのアルバムは、「蒼のエーテル」なくてもデフォルトでチェックなんだけど。
 結局、なんだかんだ言っても菅野さんの追っかけっぽいのな>自分。
 というほど根性も無く、ゆるゆる聞いてる身の上ですが。
 いずれにしても劇場版でまたまた新曲が出てきそうだし、音楽系は増殖の一途をたどりそうなので、しばらく様子を見てもいいかなという気になってきてます。全部についていくほどサイフも潤沢じゃないしね!<ギャラクシーツアーに行ったのがちょー響いている。

 ところで劇場版! はまだ情報をちゃんと露出できる状況にはないようですが、最終回を終えての監督インタビューなどでちょこちょこ触れられてはいる模様。一応TV版に準じた「愛・おぼ」形式と言われはしたものの、「愛・おぼ」もTV版とは見た印象がかなり違うのでFもそんな仕上がりになるのだろうと期待よりも不安が広がっていやんですね。パラレルな感じになるかも、とか、結末はまた変わるかも、とか、三角関係に今度こそ何らかのアンサーが? とか聞くたびに、ワクワク感より悩みが深まります。なぜ何の憂いもなく「劇場版楽しみですっ!」と言えないのだろう…(涙)。
 曲とメカは、素直に期待してるんだけど、他のところがなあ…。
 いくつか目にした監督のインタビューについてここんとこだけは何度も言いますが、社会の制度と人の感情は別のものだからね?>一夫多妻制発言。
 一妻多夫制でもいいが、それは社会のシステム。経済とか相互補助の形式としての男女の組み合わせ方の話であって、そういう社会制度の集落であっても当事者の好き嫌いの感情が矛盾なく腑に落ちてるわけじゃないだろと。(相手の心移りなどに悩む気持ちが書き残された文書はかなり昔のものからあるし)むしろ結婚制度と恋愛感情は別と割り切る文化だってあるわけで、そこのところを混同して語られてもなー。アザラシだっけ? オットセイだっけ? ハーレムのメスはボスの目を盗んで他のオスの子を作ったりするそうだし。
 ちょっといいな、と思うタイプの違う異性をどれもこれも手元に置きたいという欲は、男女を問わずあるだろうけど、その欲求と一と多の結婚制度を一緒に語ってはいかんだろ。そもそもそれができるのはごく一部の力とか才能とか財力とか、その「社会」が認める何かを持ってる個体だけで残りはあぶれて暮らすわけで、概ねの凡人はあぶれる側です。(アルトは凡人じゃないんだろうが)
 あと、真剣に相手をするとなると、複数人を対象にするのはすごいしんどいです。複数相手にできるのは、やっぱ一つ一つに対する思い入れが薄いからじゃねえかと思ったり。もしくは人間関係をさばく能力に格段に優れてるタイプとか。
 なので、三角関係を収拾しないで終わらせた理由として一夫多妻制を上げるのはやめてほしいなーと。何の説得力も無いから。
 むしろ「決着させない方が後々の想像が膨らんでいいと思った」とか「戦闘とか設定とかがおもしろくて作ってたんで、実は恋愛はどーでもよかった」とか言ってくれた方が私は納得できるんだがなあ。

 時折巡回しているサイトも次第に更新が間遠になってきてるようで(と人に言えるのか、オレ、でもあるんだけど)、(たぶん)来年公開の劇場版までファン活動持つかしら? と心配になったりしてるわけですが、それは公式サイドも気にしてるのか、今度は角川が「マクロスエース」なんてマンガ雑誌を出すそうですね。ブドーカンで席に置いたあったチラシの正体はコレか。「ガンダムエース」が安定雑誌に成長したから角川は次の成長株を探してるんだろうけど、マクロスでどこまで行けるんだろうなあ。
 マクロス・クロニクルとこの雑誌で、劇場版まで人気を引っ張れたものだか、遠くからぼんやり見ていようと思います。

 またいくつか拍手をいただいてました。ありがとうございます。
 一話以降の録画してなかったころの分もレンタルで見直したりしてるので、感想を追加しようかなと思ってます。例によって色気ゼロ・ラブ度低の小話もいくつか妄想中です。今後とも地味いわりにくどいスタイルでやっていきますので、気が向いたら遊びに来てくださいませ。

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カントクと脚本家に言え!

 首都圏とかだと、もう角川の「マクロスF 2059:MEMORIES」が出てるんでしょうね。地方には出版物が届くのが遅いのです。明日店頭に並んだら早い方かも…。月曜あたり、書店に探しに行こうと思うんですが、この年になってアニメのムック本を買うのは勇気がいるよ。<今さら。
 というようなヘタれの私なので、アニメ雑誌などはまったくチェックせぬまま放送時期を過ごしてました。すっかりアニメから遠ざかっていた身なので、ソレ系の情報にはもともと疎いし。
 そんな私が聞き続けているのが公式サイトのラジオです。アニメの放送終わってコーナー替えしてから、中村さんの方向性が定まってないのがおかしい。神谷さんは初回から口説き文句をさりげに連発しているというのに。あのラジオを聞いていてつくづく感じるのは、神谷さんの器用さです。ちょっとした仕切りとか、場の雰囲気の繋ぎ方とか、すごいなあ。最近の声優は声の演技だけしてればいいというわけではないからたいへんですねー。
 ところで、ようやく最新版のラジオを聞いたのですが、そこで最終回のアルトの言動の件で中村さんがあちこちから責められているという話題があり、ちょっとかわいそうになりました。
 だって、「お前たちが俺の翼だ」発言は、別に中村さんのアドリブじゃないだろうしさ。これってどういう意図で言ってるんだか、一番悩んだのは中村じゃないでしょうか。演技する上での気持ちの込めようが見えないよ。
 おっしゃる通り、言われるべきはカントクと脚本家の方です。中村さんのせいじゃない。

 だからって、あちこちから責められたカントク&脚本の方が、「よぉし、だったら劇場版はがっちがちの、勘違いしようもないランカEDにしてやるぞっ」と燃えられても困るんだけど。困るのも手前勝手な話なんだけども。

 12月にボーカルアルバムが出るそうですね。二枚組ってなんだかなー。いくらになるんだろう、恐ろしい。<経済力が著しく低な大人です。
 いや、ボーカルもいいんだけど、楽曲の方ももう少しフォローしていただきたいんですが。

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劇場版になんとしても望むこと

 いただいたコメントを読んでいて、いかん、アルトとかランカの心配してるばやいじゃねーよっ。てことに気づきました。
 TVでのシェリルの描き方は(扱いは、じゃありません)他の二人に比べるとちゃんとしていたから安心しきってたけど、それ以前の問題があったよ!
 あのう、劇場版は原点回帰したり初心に戻ったりしないでくださいね? 当初案とかに立ち戻らなくていいですから。
 だって、それやられますと、「死ぬ予定だった」が復活しちゃうじゃないですか。
 死ぬ予定だったってことは、企画の始めのころは確実にシェリルは三角関係の消える片方に設定されてたってことですよね? スタッフの情が移って方向転換されたのがいつごろかわかりませんが。
 そんな昔の設定に忠実にならなくていいですぅうー。
 あくまで出来上がったTVをベースに考えてくださいね。
 と、声を大にして訴えておきたいです。こんなとこで訴えて何の意味があるのか、極めて謎ではありますが。

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空耳アワー

 「アイドルの条件」を書いたはいいが、実は「ノーザンクロス」をろくに見直していなかったので今になって再視聴。そして、びみょーにつじつまが合ってないのに気づいたが、放置の方針で。オペレーターズの性格づけも間違ってる気がしてきたよ…。<穴だらけだ! 人のことは言えん。
 脇キャラって今イチわからんとこが多いです。出番少ないから一人一人の違いをどう出していいかまでは把握できず。<言い訳。
 だって、ララミアってどういう人だったか、さっぱり思い出せないですもん。容姿以外。

 それで、本放送時の感想書くのにちゃんと見て、そのときは聞き取れてたはずなのに。
 「俺はオカマじゃなくて男なんだよ!」 by オズマ。
 あれ? オズマ隊長、それはアルトに対するめっちゃ当てこすりですか? と思って、違う違う、オカマじゃなくて大人って言ってたんだってば! と自分ツッコミ。「それが大人の言うことかよ」に対するセリフなんだから、突然オカマが出たら意味不明じゃん。ボビーにも失礼だし。

 オズマ隊長、ランカは自分の道を選んだって、道を選んだんじゃなくて無くした記憶を確認しに行っただけじゃないでしょーか? そのために人間裏切った格好になったわけだから、そりゃ決心は必要だったでしょうが。(すんごい決心が必要だった、ということが本編中さっぱり伝わらなかったことはこの際置いておく)
 隊長の道の選び方には筋通ってると思いますが。キャシーとランカのためであり、イヤな上司(=レオン)の下で働くのは勘弁、というのは心情的に理解できますし。
 なんかこー。「マクロスF」って出番控えめのキャラの方が破綻が少なくてキャラ立ちがいいような気がするよ。シェリルが好きでい続けられたのって、なんと言ってもメインキャラで一番破綻が無いってのがありますから。一貫性があるから振り落とされずに済みました。

 しかし、見直すと謎いことがぼろぼろ出てきていかんなー。
 ミスター・ビルラーってなんでレオンの依頼に素直に応じてS.M.Sの軍編入に同意したのかなあ。正規軍だけじゃ早々に負け戦になりそうではあるけど、政治家じゃなくて経済界の人だから貸した恩がそれなりのリターンを生むと思わないとあっさりうんとは言わんもんだろうに。ミンメイちゃんに会う野望のためには、その方がいいと判断したのかしら。ってーか、ビルラー氏はバジュラをどうすると時間を越えられると思っていたんだろう? グレイスとは違う、バジュラのゼロタイムフォールドネットワークの利用方法を考えてたってこと?
 この辺の事情がこの先提示される可能性は限りなくなさそげなんで、ストレスたまるなあ。つくづく振り返ってはいかん系の作品だ>「マクロスF」。
 でも、ヤックデカルチャーエディションから見直すんですけどね。劇場版までに。<いっそマゾ。

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劇場版に望むこと

 早乙女アルトというキャラをなんとかしなさい。
 というのは至上命令として。劇場行っても恋愛絡みに決着つくとは思えないので、まあそれはいいや。とりあえず家業とか空に対する気持ちとかその辺だけでもどうにかして、キャラとしてのちゃんとした存在感を出してやれ。生んだからには大事にしてやってくれ、頼む。

 アルトの件は絶対条件なので、私的には言うまでもないんだけど。
 正直、ランカもどうにかした方がいいんじゃね? と私は思うんだが。前半はともかく、「ロスト・ピース」で折り返して以降のランカのキャラ造形はざっくりすぎてどうなんだかって思います。もともと「マクロスF」ってキャラの掘り下げが意外に浅く、ちゅーか、キャラメインビジュアルメインっぽい作りなのにこんなに穴が多くていいのか? と心配になるくらいで、ランカがああなのも作品仕様なのかもしれないけど。それにしたって後半の彼女はぶれてるし薄いし、ぶっちゃけランカスキーはあれで納得してるのかなあ? とシェリル寄りの身だからかもしれんが不思議でたまりませんです。
 前半、歌手デビュー間もなくの苦労してるころまでは、感覚ふつーの娘さんが憧れの世界目指してるけなげさやがんばりとかが読めて、それなりに好感持てたのになー。
 何が気になるって、後半のランカは人としての成長とか変化がほとんど描写されてないってことで。別にアニメはビルドゥンスロマンでなきゃいけないわけじゃありませんが(そもそも主人公たるアルトがあの惨状だし)、ランカのキャラとしての積み重ねがないもんだから最終回を冷静に見たときのもにゃー感が深まってる気がしてならぬのです。
 例えば「ランカアタック」でグレイスから新曲として「アイモ O.C」を渡され、歌えなくなってしまう場面。解釈の一つとして、ランカなりに「アイモ」はああいうふうに歌う歌じゃないという抵抗感や迷いがあって歌にのめり込めないのかな、という見方ができるんですが、ランカはなぜ自分が歌えないのかを内省しない。外にも訴えない。(そういう含みのある演出がなされていない)結局浮かない気持ちでいるところにブレラが現れてランカを励ます、という、ブレラの垣間見える人間性やランカへのこだわりを示す場面になってしまってます。
 さらに「グッバイ・シスター」ではバジュラの行動を遮るために戦場で歌うことについてアルトに相談してるんだけど、アルトのアドバイスに「そうだよね」と中途半端に納得してしまい、なぜ自分が抵抗を感じるのか、自分が本当はどうしたいのかを考える場面がありません。
 キャラとしての重要なはずの歌うことに対する姿勢。物語での役割として、バジュラとの関わり。がランカ・リーというキャラのポイントだと思うんだけど、どっちについても大事なはずのそれぞれの場面の書き込みが妙にあっさり。特にバジュラとの関係は作品の根幹に関わる部分だろうに経過がろくにないもんだから、「トゥルー・ビギン」でバジュラと人間の間に立ちたいと言い出すのがえらく唐突に感じてしまう。
 その流れで「トライアングラー」の「歌うのはアルトのため」が来るんで「はあ?」な気分になり、さらに「ダイヤモンド・クレバス」の「死んじゃいたい」発言でガッカリ、さらに「蒼のエーテル」でバジュラに対する気持ちの描写がないままに出奔、になってしまうので、見てて「なんだかなー」と首をひねってしまうのです。
 「ロスト・ピース」から「トライアングラー」の流れの中で、理屈の通った理由なんかなくていい、バジュラとはわかり合える気がするが故に葛藤するランカを書き、歌うことに対するランカなりの真摯さを書いていれば、話の中の住民は気持ちに置いてけぼりを食らったとしても、視聴者的にはいろんな立場があるよね、と思えただろうに。(誤解やすれ違いを訴えるのに、視聴者を誤解されたりすれ違わせたりする必要はないと思われ。それは物語の中の人たちが体験すればいいこと)「蒼のエーテル」以降でフォローされるのかと思いきや、後の話数でのランカパートは主に過去のいきさつの開示ばかりで、ランカ「個人」の心情描写はほとんどないし。
 あんなに慕ってくれたナナセが重傷を負っていろいろと世話になったはずのミハエルが目の前でバジュラに殺されて、それなのになんであいくんを群れに帰してあげたいの! と出て行けるのか、欠落した記憶の成せるわざと補完したとしてもやっぱりついていけないよ…。
 だから歌が本来の力を発揮してグレイスの制御プロトコルを駆逐していくシーンにしても、「よく考えると、この子って『アルトくんのために』歌ってるんだよね」なんて頭をよぎると、ランカの歌に対する思い入れの強さじゃなくてたまたまの生まれつきがもたらした力故なのかーって冷めた気持ちになってしまうし、病に倒れたシェリルを平手で喝入れるシーンに違和感が拭えないわけです。
 ましてラストシーンの「私、負けません。歌も恋も」というセリフなど、恋は相手がいるものだからしらん、でも、歌でシェリルに負けません宣言は、才能はさておいてもプロとしては「十年早いんだよっ(By AKIRA)」って思っちゃうんです。
 こういう感じ方は、私がシェリル寄りだからランカを意地悪く見てしまってるせいなんですかね? 中立な人はどう感じるのかなあ…。

 劇場版が「愛・おぼえていますか」形式になると聞きまして、ランカの物語内での変遷というものをもちょっときちんと設計しておいてもいいんじゃないかと不遜ながら思う次第なのです。いや、もう、ほんと、余計なお世話だろうけども。

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三角関係はむずかしい

 「マクロスF」を見始めたのは、数年ぶりに菅野よう子×坂本真綾のタッグが主題歌を担当したからでした。菅野音楽担当というのも魅惑的で、完全に音楽目当てでチャンネルセット。えらくアップテンポな主題歌だなあ、と思いつつ曲を堪能しているうちに、あらら、この話ってえらく初代をリスペクトじゃん、と本歌取りぶりにほほーと思い、さらに本編のあちこちに振りまかれた事件の謎に気になり出しまして。
 ええ、わたくし、根が設定萌えなんです。
 ずるずると小出しにされる設定に引きずられているうちに、毎週視聴するはめに。
 なので、マクロスのもう一つ? 二つ? いくつかめの見所と言われる三角関係というか恋愛系に関しては、実はあんまりどーでもよかったりしました。むしろ、番組のキャッチになってる「惑星の運命が交錯するラブストーリー」はこっ恥ずかしいからやめてくれい! ってな気分。初代にしても、突然ダークホース(美沙のことね)とまとまったなーくらいのユルい気持ちで見てたし。(そもそも初代もキャラクタにはまったく思い入れがなく、バルキリー見たさが視聴してたようなもんで)

 だいたい選択肢によって相手が可変のゲームならともかく、物語で正面から三角関係をやるのはむずかしいのよ。二人いるヒロインなりヒーローなりが始めからサブ的ポジションだとわかっていれば見たり読んだりする方もそのつもりでいるから、仮にお気に入りになったサブが不遇な結末を迎えても「サブだからね…」と気持ちの落としどころが見つけられる。でも、どっちも同じ重みだと言われると、脱落した方のキャラが好きになった人はどんなに物語的必然の結果だと言われてもどこか釈然としないに決まってる。恋愛の成就がそのキャラの評価全てじゃない、そう頭では思いつつも、どこかに負け感がつきまとうから。ひいきキャラが軽んじられたような気分になるわけですね。
 主人公にしても恋愛に関しての判断を下せるのは物語の終盤と決まってるから、途中の印象がどうしても優柔不断になりやすい。男主人公の場合、優柔不断はさらにマイナスイメージを強めるし、その印象を結末までに覆すのは作劇としては至難の業になると思うのね。
 読者・視聴者全てに、それなりの満足感を与えるお話に仕立てるのはそんなに簡単なことじゃない。

 だから、恋愛系についてはあんまり重視しない方針でいるのが無難よね、とそっち方面にはちょい距離置き気味にしてたのに。
 …シェリル・ノームというキャラにハマったのが失敗だった。彼女の行く末を気にすると、どうしても恋愛模様の方にも気を引っ張られる。結果、後半の視聴はかなりキッツい気分になることが多くて無駄にしんどかったです。

 気になって見出すと、やっぱり↑の懸念は大当たりで、予想以上にキャラ立ちに影響受けまくったアルトがかなりかわいそうなことに。せめて家業との葛藤とか、空へ憧れる気持ちの部分とか、もっと作り込んであげればよかったのに、そっちの書き込みも手薄になる始末。結果、二人の女の子に思い入れられるほどいい男ですか? と問われるほどキャラがぶれたり薄かったりになってしまい、おかげで私はむしろアルトに同情派。
 あと、ヒロインの人気がまたきれいに二分しちゃって(もちろん「どっちも好き」という方もたくさんいましたけど)、感想を読もうとネットをふらふらしているとそれぞれのファンの中には辛辣なことを書いてる方もたまーにいらっしゃいまして、こうなるだろうとは思ってはいたもののえらいことになっちゃってるなあ…とどよーんな気分になりました。
 なんて人ごとのように言うな、私自身も後半見方に偏りが出てきたのは事実で、ああ、なんかわし、ランカにきびしーなあと自覚しつつも止められず。自分で楽しみをつぶしてるようなもんで、これじゃ作品を楽しく見られなくなって結局自分が損なのになーとわかっていて、そのまま最後まで行き着いてしまいました。ダメ大人。

 というわけで、やっぱり三角関係はむずかしい。
 最終回は恋愛に関してははっきりさせないまま終わっちゃいましたが、片方に軍配上げたらそれはそれでどえらい騒ぎになったろうから、ああするしかなかったろうなと。でも、これは当初予定の結末だったのか、ファンに配慮してこういう落とし方をしたのか、やってるうちに作ってる方も二人ともに思い入れができて「両方立てよう」になったのか、ちょっと気になる。
 いずれにせよ、アルトが割を食った点については最後まで挽回のしようもなく。
 劇場版作るなら、もう少しアルトをなんとかしてやってほしいです。

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