マクロス関連感想

「マクロスプラス MOVIE EDITION」を見ました

 すごいうまく補正したなあ。すごく見やすくなりました。
 と「MOVIE EDITION」を見て思いました。OVA→MOVIEで! とアドバイスくださった方、ありがとう! これ、逆に見てたらフラストレーションたまったかもしれず。
 「マクロスプラス」は物語の背後設定が細々していないので(謎バラまいて回収という作りではない)、OVA版でもその辺の情報が極端に不足しているとは感じなかったけど、MOVIEは露出量を整理してさらにわかりやすくしました! という感じ。特にシャロンが覚醒してマクロスシティを乗っ取る騒ぎになるあたりからの様々なフォローが行き届いてて、いろんなことが腑に落ちやすくなりました。シャロンの行動の意図とか(A.I.に意図と言うのもどうだか、ですが)、イサムが洗脳に屈しそうになったわけとか、ミュンがシャロンに共感を見出す結末とか、この辺がないとカタルシス得にくい結末だよなと。
 終盤を厚くした結果導入部分がかなり圧縮されましたが、正直OVA序盤のメイン三人の描写は性格エキセントリックすぎてなんだかなー、感があったので、削ったことで普通度が上がって取っつきやすくなりました。中でもミュンはある意味物語のキーパースンだから、わからんでもないけど…的な描き方では話に入りにくくて困ったのです。MOVIEの描き方になってやっと「ああ…」と思える節が出てきて助かりました。シャロンとの精神的双子関係もきちんと打ち出されてるし。
 いや、ほんと、いろんなことがわかりやすくなりました。なり過ぎ(笑)。フォロー細かくてありがとう! です。スタッフというか監督というか、OVA版すごく見直して、細かく足し引きしたんだろうなあ。
 …ガルド、かわいそうなままだけど。独り相撲でぶち壊しにして、それを忘れて幼なじみをなじっていたのでは、記憶を取り戻したらいる場所なくてつらいばっかですよ…。二人の気遣いがあれば、なおさら。イサムの性格づけがちょい極端なのは、ガルドの立場のなさを緩和するためかもと勘ぐってしまいます。
 その代わり、というわけじゃないだろうけど、ガルド最後の戦闘シーンは増量されてて、これくらいは報いてやらねばということなのかなと思いました。OVAはちょいあっさりだったもんなあ。機体の性能上げても、パイロットが生身だと機動性の限界はあるよね…。だからVF-27はああなっちゃったのかな。
 その、増量分の地球についてからのVF-19とVF-21のシーンが、描いた人どうかしてるんじゃないの!? みたいな、動体視力無視したような画面でびっくりちゅーか、飽きれるっちゅーか。<褒めてます。後でコマ送りで見るでしょ? 前提な作画です。OVA版からあった市街地の戦闘シーンといい、本当にどうかしています。(しかし、町中シャロンの洗脳下にあるのかもしれないが、あんなにド派手にぶっ壊して回ってていいのか?)

 こういう再編集ならする意味あるなあと思いました。いろんなことがさらにすっきり。
 元になるモノが25話とボリュームあるから単純に比較はできないけど、「マクロスF」の劇場版もこのくらいがんばるように!

 うん。空バカ男に恋をするのは切ないよな。永遠に彼の目は自分にとどまることはないですよ。
 でも、自分も自分なりの「前」を見て歩ければいいんじゃないかな。「前を向いて歩いてる自分」同士なら共感できることもあるんだよ。と思いたい。

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「マクロスプラス」、見終わりました

 むーん。
 「マクロス」と言えば三角関係。といつの間にか世間的認識は統一されたようだけど、正直「ゼロ」「プラス」と見終えて「それは違うんじゃね?」という気がしています。なんちゅーか、どの作品にもそれなりに三角関係があるけど、そっち方面の描写とか掘り下げとかはそんなに深くないんじゃないかと。ぶっちゃけ、「えええー? これでいいんですか?」レベルで終わってませんか?
 特に「プラス」はメインキャラがみな20代だし、遠慮なくがっつり三角関係やっても耐えられそうな布陣なのに、端から「ああ、イサムとミュンが内心両思いだけど、ガルドに対する友情もあって煮え切らないまま今日に至る、なんだな」という構造がわかってしまい、事実上は三角ではないし。(要は、ガルドがどう身を引くかという話)OVA四巻で終わる話に本格的にどろどろの三角関係を持ち込んだら、テスト機の開発話とかAI開発とシャロン・アップル話とかはみ出てしまうでしょうけども。
 さらにこの三人を三角関係にさせてる過去のいきさつもなんだかなあ…。てゆーか、このいきさつなら二巻のガルドとミュンのくだりはありえねーだろー、と女性的には思うのですが、脚本書いた信本敬子さんいかがでしょうか。いくら幼き日から「俺たちはいつだって必ずミュンを守る」と本気で大事にしてくれる男友達とはいえ、あんなことがあったら理由はどうあれ、精神的に距離を置くようになるんじゃないでしょうか。まさか二巻の段階では、過去の詳細決めてなかったとかじゃないよな。はっ、もしかして信本さんが過去の件についてのノヴェライズを手がけたのは、自分でも「あれはないよなー」と感じてらっしゃったとか? 本は現在入手困難のようなので、確認しようがないけど。
 まあ、本命のイサムにしても、きっとあれは女よりも空が好きタイプなので、気持ちが通じたところで常に置いてけぼりにされるでしょう。それはミュンもうっすらわかってて、だから結局まとまらないまま三人は七年を過ごしました、と。イサム>空>ミュン>ガルドという関係?
 四巻でのガルドの扱いも急転直下でキャラ的に不憫。ああいう記憶の封印ってどうなのよ、とか。結末にしても他に何とかしようがなかったのかと。せめてもう少し、VF21とゴーストX-9の戦闘シーンを増やしてあげるとか。<そんなんか! あれじゃ、イサムとミュンもすっきりしないんじゃないでしょうか。

 いっそ、砂漠のテスト飛行場での、有人型飛行機にこだわるクラシックタイプの男たちの物語にまとめちゃった方がよかったんじゃないかなあ。現場感覚のないハッカーな開発責任者という異質な若者も入ってて、バランスもちょうどよかったし。大佐とイサムとガルドでパイロット話を充実させてくれた方が私としてはおもしろかった気がするけど、そうすると、シャロン・アップルの件を本編に絡めにくくなるかしら。
 あと、シャロンのA.I.開発担当していたマージって人が何を目的としていたかがよくわからんです。ただ単に自分の作ったA.I.萌えー? 最後自殺? いうか、シャロン様と同化したい? いわゆる自己陶酔で迷惑な人系でしょうか。
 純粋にA.I..vs生身のパイロットの確執話にしてもよかった気がするなあ…。<しつこい。
 ここでシャロン・アップル事件が起きてなかったら、この世界の軍の装備は一気に無人化の一途をたどり、「F」のころに有人のVF25が活躍するなんてことはなかったかもしれんのですね。ガルドの機体が使ってたシステムが、後々ブレラのVF27の遠隔操縦システムに発展してたりするのだろうか。

 例によって、戦争とは! とか、人類の宇宙進出とは! とか、異星生命体との共存とは! とか、A.I.と人の関わりとは! とか、そういうのを考察する話ではないので、人間関係に関しては軽めにスルーして、華麗な戦闘シーンを堪能するという鑑賞法が無難なのかもしれません。でも、そうすると四巻のシャロンが覚醒してマクロスシティを乗っ取って、一方イサムたちがゴーストX-9と「パイロットとして」決着つけにくる、というあたりがちょい尺が足りない感があって、食い足りない。パイロットの意地という部分と三角関係の決着という部分がうまくなじんでないせいでしょうか。
 たぶん、私的にはミュンの救出うんぬんよりも有人機パイロットの意地の部分を強く押し出してほしかったんだろうなー。人が乗って、挑戦あって、マシンと一体化してこその戦闘機ってもんですよ、みたいな。それがいつの間にか、シャロン=A.I.とミュン=生身の歌の対決でオチがついてしまって、あれー? な感じがしてるのだと思います。マクロスですから決着は歌で、となるのは自然な展開なんだけど、「歌を歌う」という点でのミュンのキャラが今ひとつ立ってないので、どっちかというとパイロットの力量の差が勝負をわけたって話になってほしかったなー、と。
 MOVIEはオチの部分が膨らませてあるらしいので、どう話のバランスを取り直してあるか、楽しみにしたいとこです。

 なんとはない画面のガイナ感は、絵コンテに樋口さんが入ってるせいもあるかもしれん。
 あと、四巻の作画に逢坂さんの名を見つけて涙。

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「マクロスプラス」、見始めました

 キャラ絵が萌えねえー(笑)。なんであんなに尖っているのだろう。摩砂雪さんのあの絵は、エヴァ前なんですね。(1994年製作ってことは)どこか貞本絵に似ている。
 でもメカは燃えー! やっぱりメカは手描きで、重力圏でないと!<それ、年寄りの感覚だから。
 てゆーか、絵柄のせいか全体にガイナものを見ているような印象? 画面の雰囲気がなんとなくそれっぽく感じる。
 このところすっかりアニメから遠ざかっていて「マクロスF」で久々に返り咲いたもんだから、何見ても新鮮です。

 音楽的にはこのころから菅野節だなあというか(当たり前)、その後の作品では「こういうテイスト」と方向性を決めて全体の雰囲気をまとめた作りになってるけど、初の劇伴だからかなんでもありな音作りになってておもしろいです。EDがかっこいい。
 話は幼なじみの男二人と女一人が物語の過去にあった「何か」がきっかけで袂を分かち、男二人はパイロットとしてライバル関係になる、というひじょーにオーソドックスな主軸があるんですが、キャラの性格が極端すぎね? という気もし。特にイサムはテンションの上下が激しすぎる感じ。wikiを読んだら設定年齢が24才だそうで、なるほど、青二才だからあんなもんですかね? でも、職業軍人としてはどうなのー? テスト機が超難物じゃなかったら、絶対にホされてたと思う。
 対するガルドは一見落ち着いて見えますが、イサム相手となると何かリミッターが壊れたような対応ぶり。今のところ二巻目までしか見てないので、三人の過去のいきさつはこれから描かれるんでしょうが、ことあればイサムを殺さんばかりというのは何事よ? と不審になります。単にミュンに対する気持ちが強すぎて、恋のライバルでもあるイサムには逆上しやすいのかもしれんけど。
 どっちもあんまり精密機械のテストパイロットには向かない気がする…。
 もっとも、YF-19や21という特殊な機体は、既成のおりこうさんなパイロットでは乗りこなせないかも、なんですが。
 この二人が型破りなおかげで、戦闘ものでもないのにメカシーンがスリリングでアクロバッティブになって見応えが出てるというのもあるし。
 あと、ミュンの過去が気になるところです。好きだった歌を捨ててバーチャルアイドルの影武者みたいなものになって、過去は振り返りたくないのとか言いながら気が弱まってガルドにすがってみたりで、「そうなるのもしかたないなあ…」といういきさつがないと女性としては「なんだかなー」な気分になります。あそこでガルドにすがっておいて、実は気持ちがあるのはイサムでした、なんて三角関係はちとつらいです。ガルド、わかりやすく誠実で直情だからこー。安パイとして握りやすいタイプじゃないですか。だから、ついってのは、女として弱くてズルい気がするわけです。(弱くてズルくてしたたかなのも女性の一面ですが)
 特にメカ好きでない女子の人だと、女性キャラが今ひとつな場合、視聴に難を来す可能性があるので、唯一メインの女性キャラの造形は結構大事だったり。

 キャラは極端だけど全体の雰囲気は落ち着いてて、演出も渋めなせいか安心して見られます。
 メカシーンは言うまでもなく堪能できて楽しい。てゆーか、見てる気分としてはそっちメインで。「マクロスF」はボーカルに戦闘シーンを乗せる場面に力が入れられてましたが、ボーカルなしでもかっこいいBGMつきで戦闘機が飛んでも気持ちいいですね。
 開発競争の方も先行きが読めませんが、どう考えたってバーチャルドラッグなシャロン・アップルのコンサートはヤバいでしょう(笑)。開発の裏に企みあり、なのがアリアリ。新鋭機の開発と人工知能アイドルの開発という二軸が今後どう絡むのか、残り二巻を楽しみに見たいので、後半を借りてる人はすみやかに返却してください(爆)。

 マクロスは初代こっきりだったので、その後宇宙に出た地球人類+ゼントランの環境がよくわかんなかったんですが、移民船団同士ってそれほど助け合いな関係でもないんだな。国家間のいざこざみたいなものが移民船団とか移民惑星の間でもあってるという世界なのか。ふつーに異性生命体にも遭遇して共存したり争ったりしてるみたいだし、なんだかキャプテン・フューチャー時代のスペオペみたいな世界観でもある。<古いな。スター・ウォーズくらいで止めておけ。
 フロンティアにもギャラクシーにも軍があるのが当たり前、みたいな環境だったんで、ずいぶん物騒な世の中だなあと思ってたんですが、「F」の約18年くらい前の時代はこうだったのか、と世界観の勉強になります。思ったより人間の移住先惑星が見つかってる感じで、それもちと意外。

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「マクロスゼロ」鑑賞完了 その2

 長くなったので二分割。
 物語の舞台作りに関しては、↓のように「ちょっとなー」感があったんですが、キャラの肉づけとかはわりと納得。
 特にサラは最初デザインが地味なこともあって「うわー、この子がヒロインかー」って感じがあったけど、なんで必死に巫女やってるのかがわかったあたりからキャラとして深みが出たし、シンが惚れるのもなるほどねな流れに。お姉ちゃんとはいえまだ十代なのに、一人でいろんなこと背負ってきて痛々しい子です。最後はものすごい超科学の兵器まで背負わされるし。
 逆にマオは一ステップ足りない感があって、それはちゃんとお姉ちゃんと向き合って反発から理解に移る過程がないから。爆撃の衝撃による退行がきっかけになるんじゃなく、伝統に固執してマオを島と血筋に縛ろうとしたサラの本心を正面から関わることで受け入れる流れが欲しかったなあ。ローティーンではあるけど、シンの気持ちは承知の上でキスを仕掛けたりするオマセな部分もある子なんだからさ。
 シンとフォッカーのライバル役二人は、末路がしょぼい気が。特にノーラはあれだけシンと絡んでおきながらあの死に方はどうなの? シンは特に秀でたパイロットではなさげだったからまともに戦わせて勝たせる方がうそっぽいと判断されたのかもしらんけど、もうちょっと二人の戦いがありましたっ、という歯ごたえを見せてからでもよかったのでは。それに比べるとD.Dは、上から目線のときは強気で余裕もあるけど劣勢に置かれたり感情に引っ張られるとだめだめなのね、みたいな納得のしようもなくはない。
 ノーラという存在がないと、統合軍にも反統合同盟軍にも正義などない戦争なんだという構図がわかりにくくなっちゃうけど、下っ端のパイロットを統合軍の代表のように罵倒してもなー、とも思い。シンのパイロットになるまでの生い立ちはわからないけど、親をなくして動乱の中で食うために所属など深く考えたこともなく軍入りしたような感じだし。別に統合軍に正しさを見いだしてパイロットやってるわけじゃなさそうだから。

 しかし、主役二人は最後どうなっちゃったんでしょうね。二人して消息不明っぽいんですが、後世に伝記が残ってるというのはどんな経緯。エドガーあたりとかから話を収集して回ったのでしょうか。(フロンティアの時代にあんな映画が作れちゃうわけだから)
 というか、生き残ったマヤン島の人々は荒廃した島に戻ったのでしょうか。戻ったとしても、その後ゼントラーディとの戦いを経て人類は全宇宙への移民の歴史に入るわけですが。このいささか出来のアレな魚の人の末裔が宇宙に広がることについて、鳥の人はどんな気持ちになるのか、知りたいところです。

 さて、時代は下ってフロンティア。
 ゼロを見てざっくりざっくり現時点で予想すると、バジュラは鳥の人のテクノロジーを流用して作ってあって、ランカはマヤンの巫女の血を引いている。だからランカの歌にバジュラは反応するのだ、ってなところでしょうか。かすってるかどうか、自信なんてものはカケラもありませんけど。
 ちゅーか、やっぱり10話のEDの演出、「アイモ」との相乗効果で気持ちよすぎました。オリジナルを見て、なんとなく感じる物足りなさ…。問題だ!

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「マクロスゼロ」鑑賞完了 その1

 ごめん、監督! 俺、監督の言いたいことがよく理解できなかったよ…。
 つまりマヤン島に残された首のない鳥の人は、人類に干渉して知的進化を促した大元の鳥の人が干渉後の進化結果が芳しくなかったときにその末裔を一掃するために残した時限装置であったと。マヤン島の巫女の血筋はその装置を作動させるために残された人類の進化センサーであったというふうに解釈するのが無難?
 進化失敗作とか他星の生命体にとって有害な生き物だからという理由で地球の人類を始末しよっかなー? 的物語は一種の定番ではあるので、無茶でも斬新でもないネタなのですが、私が「?」と感じたのはこの話にそのネタを突っ込む意味がよくわからなかったからなのですね。地球人類という種に問題があるときに発動する自滅装置が物語に導入されるのは、ざっくり言うと「でも、人間だって捨てたものじゃないのでは?」というテーマ、もしくは「人間とは救い難い生き物よのう」というテーマが物語にあるときだというのが私の感覚なんだけど、「マクロスゼロ」はどっちにも行かないんだよな…。じゃあ、他の新たな意味が提示されてるかというとそうでもないしな…。
 この辺のすっきりしない感の原因は、アリエスというキャラがうまく機能してないことにあるような気が。この人の文化人類学者というキャラとしてのお仕事は「人類プロトカルチャー仮説」とはどんなものかを視聴者に説明しつつ、それをこの世界のこの時代の人がどう思っているかのものさしになることだと思うんだけど、その辺がうまく伝わってきてない。彼女がエイフォスにこだわる理由が自分たちの手に入らない場合はマヤン島ごとエイフォスを破壊するという統合軍の計画を阻止することにあるのはいいとしても、それ以前になんでハスフォード博士に師事したいと思ったんだかが描かれてないんでアリエスの立ち位置が見えてこないんです。「人類発祥の謎を解き明かしたい!」という学者の好奇心だけなのか? 異星からもたらされたオーバーテクノロジーを奪い合い戦争状態にある、そんな人間を今の形に進化させた存在をアリエスはどう思っていたのか、それがよくわからないから、死に臨んだハスフォード博士の「新たにやり直すためにはその前段階は一掃しなくてはならない」という言葉に、「それ以外の道はないのでしょうか?」と彼女が言い返してもあんまり重みもないというか。
 ハスフォード博士っちゅー人もよくわかんないんだけども。なんで反統合同盟軍についたんだろう。鳥の人に滅びの歌を歌わせるのに執着したのは、いつまで経っても愚かっぷりを示す人類がいやんになったとか、地球という大きな視点で見たときに人類を犠牲にしても「やり直し」が必要だと感じて鳥の人による人類の滅びを望んだとか、そんな感じなのかなあ? と愚考しましたが決め手もなく。

 そういう土台のところがよくわからない上に話が積まれているので、最後の鳥の人の発動とその収束で物語がすっきりオチた感がないんです。サラが鳥の人とシンクロしたのはシンが死んでしまったと絶望し、それをもたらしたカドゥンの消滅を望んだせいだとして、だから生きていたシンが自分の心の暴走を止められるものと信じて命がけで自分の元に来てくれたことに「個」を取り戻すのは、サラとシンの物語としてはありなんだけど、鳥の人はそんなもんで発動したり止めたりできるようなもんでいいのかと。巫女の「個」の感情で動いたり止まったりするものに何万年だかという時間を越えて種の見張りをさせといていいのかと。せっかくでっかく「人類発祥に関わる謎」なんて風呂敷広げたのに、こじんまりとした感というか「オレ」視界内で決着する話になっちゃってなんだかなー、というか。
 いや、まあ、監督は「人類とは」「その行く末とは」みたいな荒唐無稽な話をやりたかったわけじゃないんだろうけどさ。

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「マクロスゼロ」鑑賞中 その1

 …なんかすごくまじめな話でびっくりだ。
 もう何年どころでなく見直してない初代って、わりとのほほんというか、リアル戦争! という雰囲気があまりない話だという印象だったんで、統合戦争があんなまぢシビアな世界戦争だったというのがなんとなくしっくりこない…。初代がこの事件の一年後という設定なら、輝やミンメイも、年代的にはこの話の主人公の工藤シンとさほど変わらない体験をしてるはずなんだが。戦争してる世界で育った影とか感じられない性格づけだよなあ。まあ、この話の方が後から出てきたわけだから、あえて初代との関連を取らない作りにしたってことになるんだけど。
 フォッカーさんのデザインが思い切り美樹本絵と違ってて、それもなんだか。思い切りがいいと言うべきか。
 そんなことをいうと、初代 → 7 → Fと、どれもキャラ絵の方向性が違ってて、同じ年表の上に住んでる「人間」がこれでいいのか? って話になってしまうけど。そんなことに厳密性なんか特に求めてもしょうがないけど。
 CGロボの絵面はまだ過渡期って感じ。質感が人間とは全然違ってて、メカシーンと人シーンのなじみが今ひとつよくない。ただ、演出に板野さんが噛んでるせいか、メインメカ視点でちゃんと止まった構図が出てくるからメカのかっこよさがわかりやすい。
 これ見てFのメカの魅せ方がいまいちだなー、と感じるわけがちょっとわかった。視点のあるメカは「見てる」からってフレームの外にいてばっかりじゃいけないんだ。Fは見てるパイロットの視界でロボシーンを描くから、止まったメカの絵が出てきづらい。もしくは、トメで出るときは外から目線。印象に残るかっこいいメカの構図を出すには、視点パイロットの乗ってる機体を手前にトメで置く。そうすると、見てる方にもメカに「乗ってる」感がありつつ、自機の姿がちゃんと見える絵になるし、遠くでちらちら動き回るロボばかりにならない。あと、止めるときはちょっと主メカのフォルムを誇張して描く(笑)。こればっかやると画面が嘘っぽくなるだろうからバランスがむずかしいけど、Fはもちょっと増やしてもいい気がした。

 話は、とりあえず二話めまでなので。だいたいやりたい方向性はわかったけど、キャラ絵の傾向も含めて地味な作品だなあ。マクロスと言えば歌ってことになるけど、今回は今風ではなく伝承の古謡だし、恋愛は三角になるとしたらヒロインの妹くらいしか増える要素がない。しかし、あの妹が本格参戦したら、年齢的にクラン・クランなみのヤバさではないか。全五話のOVAだからそんなにややこしい人間関係をやっていたら話の収集がつかなくなるし、このくらいが妥当なのかも。
 巫女さんがまっぱーで泉で歌うというのは、いわゆる一つのお約束なのだろうか。

 シンが島に流れ着いてサラに初めて会うシーンあたりが、Fの映画とまったく同じなわけね。これは事前にゼロを見ていた人には「をををっ」な作りになってたわけだ。事前に見てなくて、ほんとに惜しいことをしたわ。

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